もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

「ちょっと、お母さんには聞けないしねー、今大変でしょうしね、電話してもと思ってねー、それで、もにちゃんとなら話せるかと思って電話したんだけれどねー」

 心配している顔をしてあれこれ聞きだしたがる人の好奇心に、心底うんざりする。軽蔑でもなく嫌悪でもなく、ただただうんざりする。

「ねー、ほんとにこんなことになってしまってねー、私もすごくショックを受けてるんだけれどねー、それで結局、命日はいつだったのー?」

 細かいことを教えて差し上げる気はないけれど、命日は答えた。

「あらあー、じゃあ、結局2,3日経ってたってことなのー?あらあ…ねえ、もうほんとに…。で、何だったの?結局鬱だったの?病院とかにかかってたの?私もねー、同じ東京にいたんだから、何か出来たかもしれないと思ってねえ。ねえほんとに。何か出来ることがあったら言ってね」あんたにできることは、そっとしておいてくれることだろう。そうして、加えてもう少しの思いやりがあるなら、何もなかったように接してくれ。

 とにかくあれこれ聞きたがる。人間という生き物のえげつなさを、まざまざと見せつけられている気分だ。あんたの好奇心を満たして差し上げるつもりはない。本気で自分に何かできたなんて思っているのだろうか。そんなはずはない。平坦な日常にちょっとした非日常がふと舞い降りると、人間は矢も盾もたまらずわくわくしてしまうのだ。それは仕方がないことだろう。うっとおしいのは、モラルを心得た社会的な生き物として、親切心や同情心の仮面をかぶろうとするその俗っぽい本質なのだ。

「あの、表向きには急病による突然死ということにしましたので、私たちもそのつもりでいますので」とだけ答えた。これで察してくれあんたはとてもえげつない俗物ですねってことを。
 簡単に浮かんでくる。「あのねー、ほら、もにかさんちの一番下の○ちゃん、亡くなったんですって。(ちょっと声をひそめて)自殺みたいよー。本当に、ご家族もご両親もお可哀そうにねええ」

 とてもうんざりする。



 で、昨夜とても久しぶりの友人から急に電話があり、飲みに誘ってくれたので出かけて行った。他人に会うのが心底億劫で面倒なんだけれど、Tなら会おっかなと思ったのだ。 

 言わずにおれないから聞いてくれ妹が自殺したんだよね。この1カ月私は特に親しい友人ともほぼ連絡を取っていないし、会っても突然死としか言う気がないのに、なんでかTの顔を見るなり言いたくなって驚いた。私とTはお互いのことはほとんど知らないし、めったに会わないんだけれど、このTはとても不思議な透明感を持った不思議な人間で、会う度にこんな人もいるんだなと何となく思う。
 私は人前で感情を出さないので、話している間中、楽しそうに微笑んでいたと思うんだけれど、Tもまたいつものよくわからない透明感たっぷりの目で微笑みながら、うん、うんと言って耳を傾け、私がひとしきり話し終えたら、後はなんてことないどうでもいい会話で4,5時間くらい過ごした。
 彼のような人間に触れると、まあでもいいかと思える。はじめて1対1で飲んだのに、なんだか申し訳なかった。でもあの不思議な透明感はやっぱり不思議だった。で、今日Tに会えて本当に良かったと思いながら家路に就いた。