もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

後始末・尻拭い

 妹の第一発見者の子が来京、私の城に宿泊していった。二十歳でとんでもない光景を見せて、消えない重荷を背負わせてしまった子に、遺族として何を言えるんだろうか。
 遊びに寄ってもいいですか?との申し出を受けた時から、もうずっと考えていた。
 私自身が早いこと、自分の人生のペースやら生活やらメンタリティやらを再構築することが最優先だったから、妹の部屋の後片付けや遺品の整理や、その他自殺の後始末といった必要事項を片付けたのちは、なるべく妹に関するものや関わる人や家族やらなんかと距離をとってきた。自分が大事だったからだ。以前の自分のアイデンティティやら人生やらを取り戻すことはできないからこそ、再構築しなければいけなかったし、それに終始するためにも、妹に繋がるものになるべく触れないで過ごしたかった。そうすることがどうしても必要だった。
 そうやって、何となくそのMちゃんとも連絡を取らないでいた。最後に会ったのは、昨年秋の私の東京某所での個展が最後。別に連絡を取る必要や、会う必要が無かったからだ。私にとっては、だけれど。だって、当人に自殺されてから存在を知ったこの子は、私とって妹が死んだ自殺したということの象徴みたいな、もう妹がいたことなんて忘れて生きていきたいのに、思い出させる念押しさせる存在だったからだ。
 それで、だから、その子も早く妹や私たち家族のことは、さっさと過去にして忘れてくれていいのに、忘れてくれないだろうかなんて思っていた。本当に、いつ会っても「私は全然大丈夫です。もにちゃんこそ、大丈夫ですか?」とばかり言って自分の内面を見せないタイプの子で、けれど人に弱さを見せられない子だからこそ、本当は黙って寄り添ってあげなければいけなかったのに、なんて思うんだけれど。とても勝手だった。でも私にも自分を守る権利だってあるはずだし、っていう思いの方が大切だったから、その子のケアなんて正直忘れていた。私は一人で何とかする。他の人だって大丈夫だろうなんて思っていた。

 久しぶり会ったMちゃんは、ものすごく痩せていた。昨年のごたごたの後21歳になって、最近22歳になったそうだった。会話しながらそれとなく聞いてみると、10キロ以上痩せて生理が7カ月止まっているそうだった。小柄で健康的だったMちゃんは顔の輪郭が変わってしまって、元々くりっと大きくてかわいかった目ばかりが、さらに大きくなっていた。
 Mちゃんは妹がかわいがっていた後輩で、最後の1年は、妹はMちゃんの面倒をみているつもりで、その実かなりMちゃんに甘えていたのだと思う。内面のしんどさをあれこれそれと、Mちゃんに呟いていたみたいだった。当人が自殺してほやほやの頃には、「Kさんが望んだことなんだから、楽になったって思ってあげたい。これで良かったと思っている」と発言したので、母はMちゃんのことをまるで悪魔みたいに思いこんで、それ以降遠ざけてしまっている。Mちゃんはそうでも思わないと、罪悪感や苦痛に耐えきれなかったのだとわかっていたけれど、母が絡むと面倒くさいので、私はその辺のことは知らない顔で放置してきた。本当に申し訳なかった。
 3月に職場を辞めたMちゃんは、その後山村ボランティア?アルバイト?みたいなものに行っていたという。妹がやってみたいと言っていた畑仕事で、妹が好きだったトマトを作っている、というメールと一緒に先日の我が家訪問の打診があって、先日妹の愛用していたバッグを背負って、京都にぽつんと来た。
 Mちゃんの時間は1年前から止まりっぱなしのようだった。「悪い夢とか見てない?孤独感とか孤立感とかで困ってない?」と聞くと、「孤独感とかは、あります…」と言って、寂しそうな顔で笑って見せた顔が忘れられない。この子は、誰にも言えない光景や衝撃を自分で処理して背負っていかなければいけない。私にできることなんて、「もう終わったことなんだよ。仕方がなかったこと、何がどうであれ、過ぎたことなんだからね」と言うことくらい。そして、見守ってるからね、とそれとなく伝えることだけだ。大丈夫だよとか頑張ってだとか、こうこうこうすべきだよとか、確信めいたことなんて何も言えない。
 感情や個人的な思いは抜きにして、家族に死なれた遺族はその重みを背負っていかなければいけない。諸々の思いは置いておいても、仕方ない義務なのだ。けれどMちゃんは違う。妹にどこまでその算段があったのかは知らないけれど、順当にいけば事の1週間後に私が妹の第一発見者になる予定だった。完全な第3者である人間にそれを背負わせたことがどうしても許せないし、申し訳なくてやりきれない。
 当人がいない今、Mちゃんの人生の混乱に対して遺族はどうしようもない責任がある。私たちはMちゃんの人生に対する加害者なのだ。どうか私たち家族のことや妹の存在なんて、一日も早く跡形もなく忘れてくれないだろうかと心底願ってしまうけれど、これは遺族側の身勝手に過ぎない。
 私は勝手に死んだ人間の人生の尻拭いをして生きていかなければいけない。そのことにうんざりする。10月には従兄の結婚式が東京であるけれど、母の代役で私は父の横に座らなければならないことになった。親戚一同の、無言の「何か」の目線に笑顔で乗り切るだろう。わたしはかしこくてつよいから、大したことじゃない。誰も言ってくれないから自分で言ってあげようと思う。
 自殺の後始末はいつまで経っても終わらない。死んでなお迷惑をかけ続けるなんて当人は考える余裕はなかっただろうけれど、はっきり言って、私にとって妹の存在は単なる迷惑なものになりつつある。多くの人間の人生を破壊しておきながら自分だけ楽になろうなんて、なんて身勝手で迷惑な話なんだろう。憤りと喪失感がないまぜで整理がつかないけれど、これは一生影みたいに付きまとうんだろう。
 自殺するってそういうことだ。自分の人生を消し去って、関わる人間の人生を破壊する。そんな権利、本当は誰も持ってない。