もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

友人の子は可愛いよね、美形でお利口なら

mxoxnxixcxa2018-01-14

30代も折り返して、そろそろ自分の選択した人生の姿が見えてきたように思う。時がたまにある。
結婚はしない子供を持たない人生を行こうと決めて、薄給だけれど自分の特質を活かした専門職で誇りを持って欧州の片田舎で暮らしている、それがここ数年。

友人たちが結婚に焦り始める頃、なんとなくどうしても、それに共感できなかった。結婚する自分も想像しにくかったし、想像してみても浮かばなかった。多くの人が信じているものの正体が、いまいち解らない。結婚が何かのゴールというか、幸せの形という気がまるでしないのだ。苦労のスタートじゃないか。今パートナーはいるけれど、一人の時間が必要だし、一緒に住みたいとも思っていない。冷めた人間になったなあ。

私はトラウマ信者ではないつもりだし、人生が願う通りに運ばなくても、過去に犯人探しをしたところで、建設的な解決にはならないと考えている。けれどそれでも時々、何かが込み上げてくる。
私の母親は、インテリをこじらせた専業主婦で、どうしようもなく母親に向かない人だったと、大人になった今は理解している。父親はほどほど稼ぐ優しい人で、人として好きだし社会人として尊敬しているけれど、父親にも夫にもなりきれなかった人だ。

母は変わったと思う。妹が死んでから、しおらしくなって萎んだという感じ。娘が自殺してから、父はようやく母の夫になったように見える。喪失を抱えて生きていかなければならない二人を、とても痛ましく気の毒に思う。だから捨てきれないのだ。私を愛せない母でも愛しい。母を持てあます父に胸が痛い。彼女を好きかと自分に投げかけてみると、愛着はあるけれど好きではないし、軽蔑もわだかまりもある。一万キロ弱離れた今は、母や家族に直に関わらなくていい、ちょうど良い距離だ。良い口実というところ。

あの人は結局どんな人間なのだろう。
何にも満足できない女。プライドが高い癖に自分に自信がない女。外面ばかりよくて身内に当たる女。感情のコントロールが不得手な女。自分の感情ばかりで、他人の気持ちへの想像力が著しく欠けている女。すぐ傷つく癖に、平気で身内を傷つける女。承認欲求が強いわりに行動力が伴わない女。自分の非を認められず責任転嫁ばかりする女。自分に都合の良いストーリーを平気で作る女。息子を溺愛しても娘を愛せない女。頭の良い勤勉な女。人目を惹く容姿に恵まれていた女。

大人になった今は、母を気の毒で可哀想な女性だと思っている。母に悪気はなかっただろう。単に弱くて、想像力がまるっと欠けていただけなのだから。本人も辛いは辛かったんだろうし、幸せではなかったんだろう。
だから反面教師にして、こんな女にだけはならないように気を付けて、気を付けて生きているのだ。だって、母の許しがたい特質をあげていくと、私がひた隠して押し込んでいる自分の嫌な部分と、微妙にかぶってくるから。

でも言いたいの。声に出さないから言いたい。
ひどい母親だった最低な母親だった本当に酷い親だった。私は子供で未成年で、あんな仕打ちをされるいわれはなかったし、あんな扱いを受ける理由はなかった。大人になると、それがわかるようになってしまう。わかってしまった今、当時を思い出すと、やり場のない憎しみが込み上げてきて、やりきれない。
だから距離を置いて、数年ぶりに会う時は、出来る限り良い娘をやる。単に相手が他界した後で、自分が後悔しないためだけなんだけれど、形だけでもいいじゃない。少なくとも形はあるんだから。私は良くやってる。誰も言わないから自分で言うのだ。私は良くやってるほう。

友人たちが自分の子供と接しているのを見てたり、語るのを聞いてたりすると、時々驚くというか、目から鱗というか、なるほどと感心するというか、あ、そういうものなの?!と、名状しがたい感覚に出会うことがあって、そんな時、にっこり笑って流しつつ、酷く悲しくなる。私の知らないものがここにあるからだ。私が触れたことのないものが、たぶんこの温かそうな柔らかそうな何か。私が思い付けない、持っていない発想がこれなんだ。そう思い至るとき、悲しくて崩れそうになる。私のせいではないはずなのに、私は当たり前にそこここにありそうな、こういうものを知らない。反面教師しかなくて、お手本がない。そうしてやっぱり、改めて思うのだ。子供は持たない。自分には向いていないし、あるべきものを持って接することは出来ないだろう。苦い記憶の追体験はしない。

だから結婚の有無は気にしないお国柄の人たちの無邪気な質問には、いつものように笑って答えるの。
「モニカは子供はいるの?いつかは欲しい?」
「いないけど、どうだろ、今はまだわかんないなあ」
アジア人ならではの見た目マジックで、そう見られていないのでしょうが、とっくに三十路折り返しましたけど。
私のような女はざらにいるだろう。だから聞いて欲しいの。私もそう。身近なところの家族っぷりを見ていると、辛いとも寂しいとも違って、ただそこはかとなく悲しくなる。私はこういうものを手に入れられないだろう。割りきっているけれど、自分には無縁のものが存在するのを思い知る。別にそれが母のせいだとは思わない。ただ、母親として最低の親を持ち、私は家庭人や母親に向く資質を持っていないという事実があるだけだ。

だから深呼吸して、自分が選択した道を眺めて、そこを生きていく。ないかもしれない老後の孤独なんて、この際とりあえずどうでも良い。私は自由なの。少なくとも、愛し方がわからず苦しまなくて良いのだから。誰かに縛られることも、縛ってしまうこともない。
こんなことを考え出したのは、お年頃なんだろうか。女として生まれたからには、などと語られる女の特権と見せかけた、うっすらとした義務っぽいもの。それはきっぱり放棄したく思う。このまま数年過ごせば、その選択も完全に失う年齢になっていく訳だけども、私はそのとき後悔するだろうか。たぶんしないし、しない自分を生きていくつもり。それでうっかり時々たまにこうやって、手に出来なかったものを悲しく思うんだろう。