もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

とても乾いた感覚だ

 先日、日本の若い人気俳優が自殺したとネットニュースで見た。あまりこの世代の俳優を知らないけれど、私でも見かけたことのある綺麗な俳優だった。

 人生の生きづらさは外からでは見えない。手元に最後に残った選択をしたのだろうと思うと、関係ない私にはその選択について何も言えない。

 そのままの流れで、その当日、彼の友人だったらしい美しい容姿の俳優が、泣き崩れそうな顔で耐えながら歌う姿がテレビで流された様子も見た。整った顔が大きく歪んでいるのが画面にアップになって映っていて、胸が痛む残酷な風景だと思った。むごい業界だなと思った。そう思いながら私もまた、彼の悲しみが動画になって、ネット上でまるで舞台に感情移入するみたいに感動感動で消費されていく状況に参加する一部なのだった。

 残された者である彼の顔を見たら、10年前のことが先週のことのように浮かんできた。母からの電話の一言一句とその口調や、それを聞きながら目の前の階段の一か所をぼんやり見ていたこととか。手が震えて通話を切るボタンがうまく押せなかったこととか、電話を切って泣くでもなく「どうしよう、どうしよう」と大きめの声で独り言を繰り返していたことや、全身の血の気が上がったのか引いたのか、熱いのか寒いのかわからない脱力感とか。

 一体何割くらいの人が人生で友人や家族、それなりに近しい人物を自殺で失っているものなのだろう。家族と友人とでは距離感は違うけれど、身近な自殺者を持つ人は、きっと想像するよりも多いんだろう。

 

 妹が自殺して10年が経った。あれから10年、日本より現在いる国での居住の方が長くなった。思い出のない、妹の居た過去のない国だ。

 葬儀や遺品整理以後、実家にある遺影以外、あれから一度も妹の写真を見ていないし、身内とすら妹を話題にすることはない。両親や男兄弟には、妹は何か愛しいものとして残っているようにもみえるけれど、私はそこへはいけない。ぼかっと大きな黒いものが体の中に出来て、それを見せないようにして暮らしてきた。

 許せない、というのとも違う。気の毒なことをした可哀想だった、というのとも違う。ただただ暴力的な穴がぽっかり開いたという感じだ。夢でいいから会いたいと思っていても、夢の中で会話をしたこともない。幽霊でいいから会いたい。謝りたい。そして謝ってもらいたい。そしてずっと見てたよって言って欲しい。頑張ったねって言って欲しい。

 私はたぶん、本当に喪失が辛かったんだろう。そして多分かなり薄情で自分本位で、死者を思いやる気持ちを持ち合わせていないのだろう。手のひらサイズのプチ骨壺は寝室の香水の瓶に紛れて並んでいる。いつかこれをどうにかしなければいけないという訳でもないから、私が死んだ時に一緒に灰にして、何処ぞにもろとも撒いてもらえればそれでいい。その時、それをしてくれる誰かが私にいるだろうか。

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