もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

はやニット着て震える季節

 若い頃は気にも留めなかった事が、親になってもおかしくない年齢となって、そのまま年齢を重ねていくごとに、どんどんのしかかってくる。

 友人の子供を眺めていると、時にしんどい。その年齢の私はこんなに幼かったのか。そうか、こんな子供にあんな扱いをしてたのか。私はどうしてあんな扱いを受けてきたのだろう。そういうことが客観的に見えてきてしまうから辛い。
 理由がはっきり見えてしまうのだ。こういう親の思いやりみたいなものを一般的に愛情と呼ぶのなら、私は全く愛されてもいなかったのだと、念を押された気分になる。別にそんなこと知りたくはなかった。

 更に堪えるのは、ただ存在するというだけで大事にされて尊重されて育つ人もいる、ということを知ってしまう事だ。
 私がいくら頑張って努力しても、どうしても手に入れられなかったものを、生まれながらにして無条件に何の頑張りもせずに持っている人もいる。自然に当たり前のように愛され求められ気にかけられ心配され、大切にされてきた人が一定数いる。こんな不平等は知らずにいたかった。人間の生涯はスタート地点から平等などではないし、当たり前のことなんだけれど。

 たかが幼少期やら思春期を過ぎるまでのことだ。たかが育った家のこと。もう過ぎた事だ。
 なのに近しい子供を見ていると、ふと自分の存在に有る種の虚しさを感じてしまう。私の子供時代は何だったのだ。あの頃あんなに頑張ったのに、報われたことは無かったし欲しかったものは手に入れられなかった。どうしてなのだろう。なぜ。
 理由は知っている。私はいてもいなくてもどうでもいい者、もしくは割と明確に疎ましい者だったからだ。
 子供を欲しいと思ったことはないし、自分に適正がないのも分かるのでそれでいいんだけれど、なんの躊躇いもなく子供が欲しいと思える側の何かに属せなかった、何かが欠落した人間だというのは理解しているし、それを残念にも思う。

 そんなこんなでも生まれてしまったからには頑張って頑張って、居場所を無理やり作ってここまで来た。他人に期待して求めても仕方がないなら、自分で己に与えてやればいい。
 住みたかった国でやりたかった仕事に付き、結果をもぎ取ってきた。家を買い車を買い、パートナーと慎ましく暮らして、これでいいはずだ。けれど、もっともっとという感覚は消えない。もっと結果が欲しい認められたい。もっと頑張れる。もっと上に行きたい。
 一体どこに行き着けばゴールなのだろう。こうやって常に何かに不満で、どんどん屈折した嫌な人間になっていく。すごく嫌だ。

 みたいな諸々の思考の癖は、一般的に機能不全家庭などと、ふんわり呼ばれる場所で育った人間あるあるなんだろう。冷静に状況を切り分けて、空中霧散してしまえよ。さっさと克服してしまえ。私の生きにくさなど、その辺にひっそりと溢れかえる、ごくありふれたものだ。

 そう言い聞かせても、「私なんて」という声は止まない。私なんて取るに足らない。この呪いみたいな感覚を振り払うべく、もっともっと欲しいのだ。でも何を?何を放り込んでも穴が飲み込むばかりで、一向に埋まる感覚がない。一体何をどれだけ掻き集めたら、私は取るに足るものになれるのだろう。
 年々少なくなる友人に、友情という人間関係も努力の上で持続するのだと、うっすら分かってきた。その努力すらせずに、ぼんやりと孤独だななんて思って日々が過ぎていく、そんな毎日だ。
 
 私は幸せにはなれないだろう。幸福を見つけるなり感じるなりの才能がない。それがわかっていながら、この先も表向きニコニコしながら、ゴールの無い頑張りレースを続けていくしかない。私の行く末も、最終的に妹と同じになるのだろうか。それはそれで先のことだ。

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