もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

「求める物はまだ見つからない。けれどこれだけは言える。人生はカーニヴァルだ、共に生きよう」

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 フェリーニ8 1/2のラストが好きでたまらないのだ。振っても絞っても、もう何も出て来ない天才が呟き続けるクリエイトの苦悩と思い出の数々。伊語をベースに英語仏語が混ざり込み、現実と空想と記憶が境界なく切り替わり続ける白日夢と、その何もかもをお祭り騒ぎにして煙に巻く終焉が、本当に好きだ。

「ようこそ、お帰り」 

 もういないあの人も、傷つけてしまったあの人も忘れられないあの人も、通り過ぎていったあの人達も、あの思い出もその思い出も何もかもが溢れ出て、全ての登場人物たちが手を取って笑い合って輪になって、マーチングに合わせて回っている。大切にしたかったあの人に微笑んで、さあ一緒にと手を差し伸べる。

 一時の絵空事なのかも知れないし、そうではないのかも知れないけれど、人生という映画の終焉にはこんな音楽が響いていて欲しい。そしてカーニヴァルが去って、暗く静かな寂しさが残るところで映画はぱっと終わる。好きだ。


 とか、この映画を思い返していたのは、え、いま日本でNINEやってるのか!と知ってしまったからで、それは気になる気になると少し情報を見て回り、一瞬ふふっとなった。

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 え、これメインビジュアルは、これで正解…なんだろうか。うっかり「おお懐かしい、マンソンがアルバム出したのかな」など思いそうにならなくもないし、個人的にはすごく好きな世界観だし、美しいしクールだとも思うし、何なればシンプルな額に入れてうちの廊下にでも飾りたくなるような雰囲気だし、そうかなるほどグイドのクリエイティブの苦悩や内面を掘る方向なのかなと思えなくもないし、いやいやここはこのイメージ通りに無理矢理ホラー仕立て…だとしてもまあそれはそれで観てみたい。

 原作の、あのごりごりに陰影が格好いい絵面と装飾的なタイトルロゴのお洒落感というか洒脱な雰囲気からの、ゴス仕様。どんな解釈の飛躍を遂げているのだろう。このマンソン的な美しいヴィジュアルワーク、誰が手掛けているのだろう気になる。これは正解…なのかどうかも含めて、やはり気になる観たい何とかしたい。

 ミュージカルの映画版は、豪華なパッケージの割には中身が物足りず、しかし空虚なところがハリウッドらしくて良かったんだけれど、あまり印象に残っていない。兎にも角にも今やっているというマンソンNINEは演出がすごく面白そうなのと、主演が素晴らしく好演しているらしいのと、女優陣がもうめちゃくちゃに魅力的らしいので、おお配信があるなら…と念のため確認したら当たり前のように海外配信はないんだった。コロナが収まったころに、なんとかウェストエンドあたりにキャスト据え置きで持ってきてくれないだろうか。

 私の中のテレビが10年くらい前からやんわり止まっているので、あまりよく知らなかったんだけれど、主演俳優はここ数年当たり役を連発する実力者らしかった。日本で生まれ育ったのだとしたら、この規格外レベルの容姿で色んな事が沢山あっただろうなと謎の労りの気持ちが湧いてくるし、この演出家も気になるし、是非見たい女優もいるし、やはり気になるところだらけで特にめちゃくちゃミュージカル好きという訳ではないけれど、色々なつぼを押してくるので久しぶりにネットを漂った。

 

 それでこうして、こんな自分の体たらくを見つけて思った。結局私は未だ日本に住んでいるのだろう。今いる国で上演する舞台に、ここまで興味を持って調べてみる気になったことが全くなかったんだった。

 こちらでもいくらか舞台を観たり、気鋭の映像系アーティストのオペラの現代解釈を観てみたり、英語の映画やドラマを仏語字幕で観てみたり、逆に仏語を英語字幕で観たりとしてはいるけれど、自分の言語で100%理解出来ることの大きさを実感するばかりで、日本にいる時にそれなりに好きだったものに全く興味も愛着も好奇心も湧いてこないというのに、驚きもしているし残念に感じているし、何となく悲しく思っている。自分のものではない言語を理解するのに必死すぎて、感情まで伴ってこないのだ。

 義務教育から高等学校まで、日本に居なかった時期が僅かにあれど、その殆どの期間日本で国語を勉強してきたし、生活の空き時間に読書もしてきた私の第一言語ほどに、いつかフランス語が自分の中で己の言葉として追いつく日が来るとは、全く思えないのだ。馬鹿みたいな冗談を言い合う事は出来ても、何かを深く理解しようと思考する時、母国語以外で思索出来るようになるとも思えない。繊細な含みや言い回しの妙に心を打たれるレベルに成れるとも思えない。

 私は外国に住んではっきりと日本人になったと言えるだろう。もしくは日本人の自分を再発見したというところだろうか。

 それにしてもどうして世界は、こうも言語がばらばらに隔てられているのだろう。いやいや文化とはそういうものだとすぐさまどうでもよくなって、ブリューゲルバベルの塔をPCのデスクトップにしてみるなどいった青臭いことを未だにやっている。