もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

一番大きめの買い物

 家を買ったはいいが、改装だらけで住める状態にするまでの道のりが長すぎて、住む前から飽きてきたのが2021年上半期の出来事と思っていたら、今年がもう折り返していた。本当に年内に片付くのだろうか。
 業者や職人も、日本だったらこんなことはまず絶対に起こらないだろうなという驚きの連続で、落ち落ち考え事をする余裕も、些細な事に悩む時間も全く無くて、己自身も余暇は全て全力でDIYするのみ。もう疲れたよ。納豆が恋しい。

忙しくしていたら1月が終わっていてヘドロを

 それはもはや許すも許さないも何もへったくれもなく、かなり遠く昔々の彼方のことで、むしろ手元に持っていても何の良いこともないから丸っと忘れて何も無かった様に霧散してしまいたいというのに、頼んでもいないのにごくたまに、不意に立ち寄ってはぼこぼこに殴りつけてきて、もううんざりだし嫌になる。

 この呪いみた様なものを振り払わんがために今まであれこれしてきて、そんなことは無いそんなことは無いと己に証明するべくずっとやって来たのに、どうして今になっても頼んでもいないのに。と思ってしまう。そして時に、この「そんなことは無い無駄戦」をしなくてもいい人を見てしまう。なんと青く見えるのだ隣の芝は。人生のバックグラウンドは人それぞれだし、どんな人にも何かしらはあるのだと雑念を理性でねじ伏せるのが、年々難しく感じるのは何故なのだろう。若さって素晴らしかったっていうことなのだろうか。うううん。

 「あんたに生きてる価値などない」そんなことは無い。そんなことは無いはずだ。そんなことは無いと自分で己に言ってあげたいのだ。私の価値は自分で作る。私が自分で証明して、昔々のかなり遠い彼方の私に見せてやる。呪いを吹き飛ばして、その台詞ごと脳内で蹴落としてやる。

 結局何も持っていない私が唯一全力を注いで、その結果が目に見えて確認できるのは仕事だというのに、その仕事で初めて大きな案件を逃した。絶対に行けると思ったのに。絶対にこれだけは勝ち取らなければいけなかったのに。何故どうして悔しい苦しい。理由は知っている。至らなかったからだ。これだけ。別に存在を否定されたというでもないのに、どうしてこんなに根源的な無力感を覚えるのだろう。

 それを外に出さないように、まあ次を頑張るしかないよねと微笑むのが悔しい。私にはこれしかない。仕事しかない。自分が自分に誇れるもの、ここにいる理由になるものだ。おいおい大げさではないのか、たかが一つ仕事逃がすとか、よくあることじゃない一々気にしてどうするのだ。そもそも仕事は何かを証明するためにする訳ではない。でも悔しい。勝ち取りたかったもぎ取りたかった。それを押し込んで、悔しいけど仕方ないねと軽く微笑んでおく。仕方なくも何もない。悔しくて鏡の自分が揺れて見えるくらいだ。

 何処にいても、いつもやんわりと此処に居てはいけない気がしていた私がようやく作り上げた居場所にいるのに、こんなことで足元がぐらついて見えるのが情けなくて悔しい。いい加減ゆるぎない何かに変身したい。ある日の朝起きたら変身していたい。

 知ってる私は勝ち目のない負け戦をしている。違う。意味のない無駄戦と言うのだ。そもそも戦いなど無いのだから。いつになったらそれを受け入れられるのだろう。などと他人事にして目を閉じておく。顔なしのもなかにヘドロを吐いてにっこり笑って嗚呼ああ。そんなことは無い。そんなことは無いはずだ。私にも何かしらの価値はある。少なくともそのフレーズを私に浴びせていた人物よりは。そうであって欲しい。いやそうでもないか。

 刺さっている棘を一本一本抜いて踏みつけてなきものにして来たつもりでいるけれど、結局その穴は残ったままで、そこから色々なものがスルスルと抜け落ちていってしまう。空っぽになってしまわぬように何でもかんでも飲み込んでみるけれど、いつまで経っても満ちることがない。止まったら逆に穴に飲み込まれてしまう気もする。どうしてこんなことを考えるのだろう。それなりの分別のある大人になったというのに、外向きの分別は内向きにも働くとは限らないものだなと思う。

 だからもっともっともっとと穴の開いた器に砂を注いで注いで、無駄戦を。私はその人物を心底から嫌いということでもないので、それがしんどい。愛情には条件が有ると教えてくれた女だ。今となっては無償の愛というものがフィクションだろうとそうでなかろうと、どうで良い。私は親にならずにすむ人生を選んだのだから。ただ不必要な記憶を消せたらいいのにと願う度に、その記憶に縛られてしまうパラドックス。馬鹿馬鹿しい。トラウマなんてものは上手く行かない何かの言い訳みたいなもの。使い勝手が良いから汎用されるそれだけ。と言い聞かせてにっこり笑って、つつがなく暮らしていく。

 ごくたまにほんのりと少しだけ、このしんどいウェーブに飲み込まれると、色々なものがぐらついてしまう。もういい大人の女だというのに、いつまで続くのだろう。

 

Paul Gustave Doré / Léthé

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ギリシャ神話の黄泉の国に流れる川の一つ「レテ」。その水を飲むと現世の記憶を失くしてしまう。

ノエルの季節とOさんについて

 年末年始が近づいた、というかクリスマスが近づいたラテン国家にいて、家族は家族が家族と家族に、という話題や繋がりそのものを目の当たりする機会が格段に増える。

 日本にいる時は、ここまで他者の家族模様に触れる機会もないけれど、兎にも角にも礎がラテン。イベント的には日本でいう正月に該当するノエルには、映画やドラマでしか知らないような、むせ返る家族愛がそこここに溢れていて、どこか居心地の悪さを感じてしまう。眩しい。いいなあ、親しい家族がある人はいいなあ。私には手が届かないものだ。などうっかり捻くれてしまいそうになる。

 うちの家族は元々お互いをよく知らないし、親族は数年に一度、どこぞの個室のあるようなところで会食をする程度の付き合いだったし、大人になった今では従妹達の連絡先すら知らないので、友人などが毎年正月に親族一同で集まって楽しく食事するなどいった話を聞くと、どこか遠い話のように感じつつも、羨ましく思っていた。私にとって家族や親族の会合といったそういうものは、フィクションと同列のものだった。目の当たりにはしなくていい。

 縁のないものを想っても仕方が無いので、心持ちを変えようと頭を切り替えて、ふとOさんのことを思った。数年前に他界してしまったOさんのことを。そして人の死に大きく感情を揺さぶられることがなくなったものだなと、他人事みたいに考えた。ショックで泣き暮らすとか、日常生活に支障が出るとか、そういった激しい感情に巻き込まれなくなった。年の功だろうか。それを言うには、まだまだ私は青いだろうけれど。

 数年前Oさんから、癌になってしまったと連絡が来た。ステージ4で余命数か月と告知されたとのことだった。なのでポルシェ買ったから会いにおいでよ、老後の楽しみにとっておいたんだけど、老後はもうないから買っちゃったんだよね。一緒に牡蠣を吐くまで食べる約束を果たしに、ちらっと帰国してはどうかと。

 Oさんは私より15とか20とか結構な年上だったけれど、気の合う素敵な人だった。目立つ色のオープンカーで正月明けの寒空をあちこちドライブして、キロ単位で取り寄せてくれた牡蠣をもりもり頂いて、毎晩美味しいお酒を夜更けまで嗜んで、なぜかOさんの母親の家に出向いてご挨拶もし、こだわって焼いた鴨をこだわりの醤油で作った自家製ソースで平らげ、大事にしまっておいても仕方ないからと、コレクションの中で取って置きのイタリアワインを開けてくれ、川島なお美の死に様は見事でしたよね、なんて話をした。

 来年は欧州某所で展示できるはずだったんだけどね、と言ってOさんは残念がった。当たり前だった。Oさんはまだまだ若くて何でも出来ただろう。個展を見に出向いて、楽しいお酒を飲んで何時間も話をして、そういう事をもっと積み重ねていきたかった。もっともっと生きていて欲しかった。そんなことは言わずに、Oさんの止めどないお喋りを聞いて相槌を打っていた。

 最後に送ってもらった駅で、本当に楽しかったねと言い合った。「じゃあ」の後に「また」とは言えないし、かといって「さようなら」も言う気がしないので、「良い人生を」と言って別れた。Oさんは照れながらハグしちゃおうといって抱きしめてくれた。もう会えないんだね、とは言わなかった。Oさんの目が赤かったし、私も同じだっただろう。

 Oさんを思い出す時は、あの楽しくて幸せなお別れ会が浮かぶのだ。悲しいけれど穏やかで温かい、掛け替えのない時間だった。きっとOさんにとってもそうだったというのも分かっている。大事な特別な時間を私に使ってくれたし、素敵な思い出だけが残った。

 その数か月後、Oさんの訃報を知った。特に泣くでもなく、ああ、そうかと思った。Oさんが死んでしまってもう会えないという事よりも、「Oさん」というワードで一番に思い浮かぶのが一緒に過ごした楽しい時間で、喪失といった痛みを伴う感覚がないのは、Oさんが私にとって身内でも恋人でも、もの凄く特別に親しかった友人でもないからだろうか。

 Oさんだけではない。20代の頃他界したYさんも、当時は暫く泣いて暮らしたけれど、今では優しかったYさんと過ごした時ばかりを思い出せる。妹の自死1年後に他界したEさんとも穏やかに別れた。去年亡くなったBも本当に可愛がってくれた人だった。一昨年に亡くなったLも、陽気で楽しい優しい人物だった。皆年上ばかりだけれど、同年代を失うのはこれからだ。

 妹だけが駄目なのだ。いつまで経っても折り合いがつかず、10年過ぎても妹を想う時だけ、不自然な顔色で棺桶の中にいる様子や、火葬場が本当に辛かったといった事ばかりが襲ってきて、目をぎゅっと閉じて、そのまま何もかも閉じてしまいたくなる。奥の方に押し込めて隠してある、黒くてごりっとしたものが身体中にぶわっと広がって、立っているのが嫌になる。

 妹との思い出は、どうしようもない程いくらでもあるのだ。それらを妹は丸ごと捨てて無にして居なくなったのに、私の方はそれを大事に取り出して眺めるということが、どうしても出来ない。妹にとってはもう不要なものだったのだから。妹の居た時に、一緒に過ごした時間に価値を探しても、ただただ虚しくて辛い。どの思い出も約束も、あれもこれもそれも私も何もかも、妹にはもう要らないものだった。こうやって、いつまで経っても妹の自殺が自分の中で終わらないし片付かない。

 その一方で私は他者の死を、「まあそうだよね、仕方ないよね」と受け入れて流してしまう。こんなものなのだろうか。死に慣れていくというのは、こういうものなのだろうか。そういう取り止めのないことを、クリスマス休暇にぼんやりと考えている。