もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

白線流し

 昨日は危険なドラマ・白線流しを観たのだった。「思い出って宝物じゃない?」という主人公の酒井美紀の言葉につい釣られてしまい、マイ脳内宝箱の高校生時代のを開けてみて、すぐ閉じた。ああ開けるんじゃなかった!ガラクタだらけ。
 高校時代、このような自然溢れるのどかな環境でもなく、素朴な高校生もあまり見かけず、まっすぐな心を持った女子でもなく、また周囲にかのような素敵な仲間もいなかった私なんかにとってこの世界は全く御伽噺なんだけれど、このドラマのいけないところは自分の高校時代、まさにこのドラマがやっていた頃に自分自身が引き戻されてしまうところなのだ。ああやだやだ。夢もへったくれもなかった。思い出ボックスの隙間から、日焼けサロンのオイルとシーブリーズの匂いが漂ってきた。何をやってても、ああ早く終わんないかなと思っていたもので、もうほんとに何もかもイヤだったのです。空も飛べるなんてドリーミンなことは、とんと思いつかなかった。
 それでたまに放送するこのドラマを見たり見なかったりしながら、なんだ、気がついたら私もこんな年になっているのね。そうして疑問を感じてしまったりもする。えっと、私はこれでよかったのか?むしろ今現在これでいいのか、とかって。
 こんな、疲れたら帰る故郷も別にないし、地元を全て切った私にはこんなことは関係ないのだ。おおやだ。しかし何?この感覚。これは郷愁というもの?たぶん後悔というものだよって脳内小人が言う。無かったことにしたい10代を思い出すだけで、ああ見なきゃ良かったなと胸が苦しい。
 そうして、この京野ことみの夫役のシンジは高校時代のまーらん(仮)という友人に似ていて、ああまーらんもやや年をとって。きっと今はこういう顔か、など考えた。まーらんは愉快な男子で、Sをやっていて、シャブ特有の開いた瞳孔をして、口が渇くのでやたらめったらコーラばっかり飲んでいたのだった。そんなまーらんも高校卒業後、SをやめてS関係の友人を切って浪人に専念し、慶応に行くのだといっていたけれど、それ以降私が友人関係をシャットアウトしたので、まーらんが何処の大学に行ったのかも知らない。高校時代の周囲の人が今何やってるのかもぜんぜんぜん知らない。企業に勤めたり、ママになったり、キャバ嬢になったり、死んだりしているんだろうなと遠い目をしてみる。そういうどうでもいい事をあれやらこれやらと考え、思い出してしまうのだ。ここまでくると、ドラマ自体の話の筋など関係ない。ドラマ自体は酷いものだった。しかし危険なドラマだ。
 そうしてちょっと疑問を感じてしまうのだった。私はこれでよろしいのだろうか。一体何をいているのだろうか。何処に向かっているのだ。いや目指すものはあるけども、この先には本当に何かあるんだろうか。むしろ迷わずOLとかになればよかったのだろうかと答えのない疑問が垂れ流されるので困ってしまう。私は一体何者?そんなプチフィロソフィーになる。青い時代が過ぎて、私も大人になったのだ。ああ白線流し。なにかこう、胸が苦しい。なんて危険なドラマなんだ!