もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳


 夜になってようやく、1週間弱放置していた案件をせっせと片付けにかかったところ、思った以上に時間がかかり、さっきようやくすべて片付けてポストまで散歩に行ってきた。

 だから何にしてもやらなきゃならないことはやらなければならないので、これからちょっと寝て、そのあと気分転換に自転車に乗って天神市に行こうと思う。かわいらしい焼き物のお茶碗でも探して連れ帰ってくるつもり。で、それからとにかくやりかけだった4点は完成させようと思う。発送まであと3日強ある。大丈夫間に合う。はず。で、同時進行で手紙を3通書いて、ポートフォリオの諸々の処理と発送。で、電話をもらいっぱなしだった方に連絡をしてアポイントを取って、それからそれから、とにかくぼーっとしているからあれこれ考えあぐねて1週回ってしまうのだろう。

 とにかく一日中、何もかもに腹が立って仕方無く、勝手に死にやがって究極のエゴじゃねーか私にこんな仕打ちをしやがってと、他人の死ぬほどの苦しみよりも自分の心的負担を優先的に考えて、くさくさしていた。なんてことない日常にも自分の現状にも、それなりの不満と満足とわくわく感を持って暮らして、そのどうでも良さをとても気に入っていたのだ。私はなんだか変わってしまったみたいだ。元に戻りたい。

 本当にいろんなものにうんざりしている。ここ数日話してもいない母やらなんやらにほとほとうんざりし、超迷惑、もう何もかも超迷惑、死ぬほど迷惑だわ元々居なかったことにしてやるわとかなんだとか、ぐるぐる考えていて大変疲れた。葬儀では「○ちゃんの分も〜〜しなくちゃね、しなければいけないよ」という優しい言葉を沢山いただいたが、そんなこと知ったことではない。自分の人生で手いっぱいなのに、どうして死んだ人間の分まで背負わなければいけないのだ。わかってる。他意はないし悪気もないし、励ましてくれているのだ。人間て優しい。なのにその優しさをうっとおしいと思うようになってしまった。

 夜、会社帰りの父と電話した折に、母がベッドから出てこれなくなっている旨を耳にし、父は明言しなかったけれど、母と会話ができているのか微妙な雰囲気だった。紅茶を入れるくらいしかできない父が、母に今おかゆを作っているところだというのを聞いて大変胸が痛んだ。でも今私は母に猛烈に会いたくないのだ。母の泣き言を耳に入れるのもいやだ。母を背負うキャパが、もうなのか、今はなのか、とにかくキャパシティがない。自分の日常とその周りにあった感覚を取り戻すのに精いっぱいだし、それさえままならない。

 部屋の隅に積み上げた妹の靴の箱の山と、ケースいっぱいのメイク道具を眺めていると、不思議な感じだ。赤ちゃんのころから成長していくのを見てきたのに、もういないという感じがよくわからない。あの子の存在は一体何だったのだろう。私が見てきたものは一体何だったのだろう。全部、本当に一体なんだったのだろう。