もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

ノエルの季節とOさんについて

 年末年始が近づいた、というかクリスマスが近づいたラテン国家にいて、家族は家族が家族と家族に、という話題や繋がりそのものを目の当たりする機会が格段に増える。

 日本にいる時は、ここまで他者の家族模様に触れる機会もないけれど、兎にも角にも礎がラテン。イベント的には日本でいう正月に該当するノエルには、映画やドラマでしか知らないような、むせ返る家族愛がそこここに溢れていて、どこか居心地の悪さを感じてしまう。眩しい。いいなあ、親しい家族がある人はいいなあ。私には手が届かないものだ。などうっかり捻くれてしまいそうになる。

 うちの家族は元々お互いをよく知らないし、親族は数年に一度、どこぞの個室のあるようなところで会食をする程度の付き合いだったし、大人になった今では従妹達の連絡先すら知らないので、友人などが毎年正月に親族一同で集まって楽しく食事するなどいった話を聞くと、どこか遠い話のように感じつつも、羨ましく思っていた。私にとって家族や親族の会合といったそういうものは、フィクションと同列のものだった。目の当たりにはしなくていい。

 縁のないものを想っても仕方が無いので、心持ちを変えようと頭を切り替えて、ふとOさんのことを思った。数年前に他界してしまったOさんのことを。そして人の死に大きく感情を揺さぶられることがなくなったものだなと、他人事みたいに考えた。ショックで泣き暮らすとか、日常生活に支障が出るとか、そういった激しい感情に巻き込まれなくなった。年の功だろうか。それを言うには、まだまだ私は青いだろうけれど。

 数年前Oさんから、癌になってしまったと連絡が来た。ステージ4で余命数か月と告知されたとのことだった。なのでポルシェ買ったから会いにおいでよ、老後の楽しみにとっておいたんだけど、老後はもうないから買っちゃったんだよね。一緒に牡蠣を吐くまで食べる約束を果たしに、ちらっと帰国してはどうかと。

 Oさんは私より15とか20とか結構な年上だったけれど、気の合う素敵な人だった。目立つ色のオープンカーで正月明けの寒空をあちこちドライブして、キロ単位で取り寄せてくれた牡蠣をもりもり頂いて、毎晩美味しいお酒を夜更けまで嗜んで、なぜかOさんの母親の家に出向いてご挨拶もし、こだわって焼いた鴨をこだわりの醤油で作った自家製ソースで平らげ、大事にしまっておいても仕方ないからと、コレクションの中で取って置きのイタリアワインを開けてくれ、川島なお美の死に様は見事でしたよね、なんて話をした。

 来年は欧州某所で展示できるはずだったんだけどね、と言ってOさんは残念がった。当たり前だった。Oさんはまだまだ若くて何でも出来ただろう。個展を見に出向いて、楽しいお酒を飲んで何時間も話をして、そういう事をもっと積み重ねていきたかった。もっともっと生きていて欲しかった。そんなことは言わずに、Oさんの止めどないお喋りを聞いて相槌を打っていた。

 最後に送ってもらった駅で、本当に楽しかったねと言い合った。「じゃあ」の後に「また」とは言えないし、かといって「さようなら」も言う気がしないので、「良い人生を」と言って別れた。Oさんは照れながらハグしちゃおうといって抱きしめてくれた。もう会えないんだね、とは言わなかった。Oさんの目が赤かったし、私も同じだっただろう。

 Oさんを思い出す時は、あの楽しくて幸せなお別れ会が浮かぶのだ。悲しいけれど穏やかで温かい、掛け替えのない時間だった。きっとOさんにとってもそうだったというのも分かっている。大事な特別な時間を私に使ってくれたし、素敵な思い出だけが残った。

 その数か月後、Oさんの訃報を知った。特に泣くでもなく、ああ、そうかと思った。Oさんが死んでしまってもう会えないという事よりも、「Oさん」というワードで一番に思い浮かぶのが一緒に過ごした楽しい時間で、喪失といった痛みを伴う感覚がないのは、Oさんが私にとって身内でも恋人でも、もの凄く特別に親しかった友人でもないからだろうか。

 Oさんだけではない。20代の頃他界したYさんも、当時は暫く泣いて暮らしたけれど、今では優しかったYさんと過ごした時ばかりを思い出せる。妹の自死1年後に他界したEさんとも穏やかに別れた。去年亡くなったBも本当に可愛がってくれた人だった。一昨年に亡くなったLも、陽気で楽しい優しい人物だった。皆年上ばかりだけれど、同年代を失うのはこれからだ。

 妹だけが駄目なのだ。いつまで経っても折り合いがつかず、10年過ぎても妹を想う時だけ、不自然な顔色で棺桶の中にいる様子や、火葬場が本当に辛かったといった事ばかりが襲ってきて、目をぎゅっと閉じて、そのまま何もかも閉じてしまいたくなる。奥の方に押し込めて隠してある、黒くてごりっとしたものが身体中にぶわっと広がって、立っているのが嫌になる。

 妹との思い出は、どうしようもない程いくらでもあるのだ。それらを妹は丸ごと捨てて無にして居なくなったのに、私の方はそれを大事に取り出して眺めるということが、どうしても出来ない。妹にとってはもう不要なものだったのだから。妹の居た時に、一緒に過ごした時間に価値を探しても、ただただ虚しくて辛い。どの思い出も約束も、あれもこれもそれも私も何もかも、妹にはもう要らないものだった。こうやって、いつまで経っても妹の自殺が自分の中で終わらないし片付かない。

 その一方で私は他者の死を、「まあそうだよね、仕方ないよね」と受け入れて流してしまう。こんなものなのだろうか。死に慣れていくというのは、こういうものなのだろうか。そういう取り止めのないことを、クリスマス休暇にぼんやりと考えている。

白黒以外のグレーの部分

 週末の一日目を何もしないでぼんやりと終えようとしていることに心底がっかりするし、何もしなかった自分にうんざりする。

 もっと頑張れるだろうもっと頑張らなければならない。休日だからこそ出来ることがあるのに、何をしているのだと考えながら、ぼんやり取りあえずチョコとお酒を嗜んでいたところにパートナーが来て、「どうしたのだ」と。

 別に何もないし、ちょっと疲れているし自分にうんざりしているし自分の人生にうんざりしているのだとついうっかり正直に答えてしまい、パートナーは傷ついた顔をして、「ありがとう、そんなことを言ってくれて」と仏人らしい皮肉な言い回しをしてから、「自分がいるのに」と言った。慌てて適当な冗談を言って誤魔化した。得意の笑顔で。

 こういう時に何て言うのが正解なのだろう。「いやいや、あなたがいるから私の人生は輝いている」だとか、そういうことを言えば良いのだろうか。自分の言語ではない仏語でなら口から出まかせで言えなくもないし、むしろ平気で言える。台詞を読むのと変わらないからだ。けれど自宅でも演技するのはしんど過ぎではないだろうか。ただでさえ私の人生は、外部に向けてもほころびが隠し切れなくなってきているというのに。それで相変わらず私はクソみたいな性格してんなとうんざりする。疲れた。だからと言って私が他者を傷つけていいということにはならない。なんだか全体的に疲れて、もう本当にうんざりだ。

 大分前にコメントで「白黒以外のグレーも愛せるようになるといいね」と言われたことがあって、なぜかそれをよく覚えている。グレーの部分を価値のあるものだと思い込むこと、そう振舞うことにも意義はある、それが生活というものだといった様な意だったと思う。確か、家族とは得体が知れない物だけに持つ気にはならない、けれどどうしようもない憧れも同時に抱えている気もする、といった様なことを書いたのかも知れない。

 正直なところ、そうまでしなければ守ることが出来ないグレーの部分など、本当に意味があるものとは思えなかった。そこまでしてやっと維持できるものならば、手を抜けばあっけなく壊れるだろうし、不確かすぎる。そんなものに常に気を砕いて必死で維持し続けることに、意味が見い出せる気がしなかった。いつか壊れて失うと分かっているものなら要らない。

 そしてふと今日、その言葉を思い出したんだった。今私がいるのは、あのグレーの部分なのだろう。ここにあるグレーは確かに、意味があると自分に言い聞かせて、守ろうとしてみるに値するものだと思える。気がする。ように感じるでもないと言えなくもないかも知れないよね、分からんけれど。パートナーはふわふわと柔らかくて優しいだけで、劇的な何かを与えてくれるでもないけれど、穏やかで平坦な何か、私を何か良い者の方に繋ぎとめてくれる人だと言う事だけは、理解してはいるのだ。優しい貴重な人だ。家族になる気はないけれど、きっと私には必要な人のはずだ。

 そもそもこの国は、同性婚を早い段階で成立させる面もあれば、結婚制度への重要視をいち早く手放したという奇妙な両面性を持つので、とても居心地の良いところがある。要はどうでも好きにすればいいし、他者の人生に干渉はしませんよという感覚が一般的に浸透していて、詮索もされなければ頼んでもいないのにメリットを語って勧められるということもないので、結婚願望がまるでない者にとっては大変気が楽なのだ。

 そうでなくても生きていくのは何というか、大変で苦しいばかりで重たいし、私の手に余ると青い頃から思っていても、まだ続いていく。しんどいな、さっさと辞めてしまいたいではないか、こんな実のないレース。

 でも知っている。レースをしないという選択も実はあるのだ。穏やかに手元のグレーを大事に育んでいくという生き方もきっとある。勝ち負けではないし、たった一人の誰かに存在を認めてもらえれば、もっと上に上にもっともっとレースに参加しなくても、恐らく人生は温かい柔らかいものに成り得る。と思いたい。でも私は勝ちたいのだ。認められたい求められたい認められたいの。でも誰に?たぶん最終的には自分に。分かっているのだ。そんな日はきっと来ないし、何をしても何を得ても私は満たされないし充分には成らない。

 誰かと会話したい。もうずっと会話に飢えたままだ。母国語で本音を言っても大丈夫な相手と、その後に持ち越さない関係で。例えば妹と。妹と。私の妹と。10年前に病んで死んでしまった。きっと彼女は「しょうがないなあ、もにちゃんは」といって笑って、毒にも薬にもならない温かい事ことを言って流してくれただろう。私もまた彼女の日々の鬱憤を流して翌日が来ただろう。

 その妹は未だに24歳のまま、私だけが年を取っていく。何も無い訳ではないし、色々と人生ゲームでゲットしてきた。でもいつも足りない。何かがいつも足りないままだ。

 あのコメントをくれた人は今でも、あのグレーの部分を守っているのだろうか。彼女の守っている本当はどうでも良いのかも知れないこと、価値が無いのかも知れない灰色のものたちは、今でも彼女に寄り添う空しい大切なものであるだろうか。きっとそうだと思うし、そうであって欲しいと心から思える。そんなことをふいに思い出した何もない土曜日。

 だからNINEを観たいと言っているのだ。評判が良すぎるだろう配信でもいいから観たいのだ。妹がまだ居たら、私が興味があると言う前に観てきたと自慢して来ただろうなと思いかけて、止めた。意味がない。意味がまるで無いから今日はパートナーにお酒を飲ませて、酔ったところにありがとう傍にいてくれて。私はクソだけれど、あなたは優しい何者かだというくっさい台詞を他国の言葉で伝えて終えるのが目標。

 言いたいのはこれだけ。とりあえず母国語で王様の耳はロバの耳穴に吐き捨てて、明日は別の日にしてしまえ。こうやってあと30年くらいは残っているのだろうか、何とか過ぎて行けば良い。言えるのはもうそれだけ。久しぶりにすごく飲んでしまったから

 

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「求める物はまだ見つからない。けれどこれだけは言える。人生はカーニヴァルだ、共に生きよう」

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 フェリーニ8 1/2のラストが好きでたまらないのだ。振っても絞っても、もう何も出て来ない天才が呟き続けるクリエイトの苦悩と思い出の数々。伊語をベースに英語仏語が混ざり込み、現実と空想と記憶が境界なく切り替わり続ける白日夢と、その何もかもをお祭り騒ぎにして煙に巻く終焉が、本当に好きだ。

「ようこそ、お帰り」 

 もういないあの人も、傷つけてしまったあの人も忘れられないあの人も、通り過ぎていったあの人達も、あの思い出もその思い出も何もかもが溢れ出て、全ての登場人物たちが手を取って笑い合って輪になって、マーチングに合わせて回っている。大切にしたかったあの人に微笑んで、さあ一緒にと手を差し伸べる。

 一時の絵空事なのかも知れないし、そうではないのかも知れないけれど、人生という映画の終焉にはこんな音楽が響いていて欲しい。そしてカーニヴァルが去って、暗く静かな寂しさが残るところで映画はぱっと終わる。好きだ。


 とか、この映画を思い返していたのは、え、いま日本でNINEやってるのか!と知ってしまったからで、それは気になる気になると少し情報を見て回り、一瞬ふふっとなった。

www.umegei.com

 え、これメインビジュアルは、これで正解…なんだろうか。うっかり「おお懐かしい、マンソンがアルバム出したのかな」など思いそうにならなくもないし、個人的にはすごく好きな世界観だし、美しいしクールだとも思うし、何なればシンプルな額に入れてうちの廊下にでも飾りたくなるような雰囲気だし、そうかなるほどグイドのクリエイティブの苦悩や内面を掘る方向なのかなと思えなくもないし、いやいやここはこのイメージ通りに無理矢理ホラー仕立て…だとしてもまあそれはそれで観てみたい。

 原作の、あのごりごりに陰影が格好いい絵面と装飾的なタイトルロゴのお洒落感というか洒脱な雰囲気からの、ゴス仕様。どんな解釈の飛躍を遂げているのだろう。このマンソン的な美しいヴィジュアルワーク、誰が手掛けているのだろう気になる。これは正解…なのかどうかも含めて、やはり気になる観たい何とかしたい。

 ミュージカルの映画版は、豪華なパッケージの割には中身が物足りず、しかし空虚なところがハリウッドらしくて良かったんだけれど、あまり印象に残っていない。兎にも角にも今やっているというマンソンNINEは演出がすごく面白そうなのと、主演が素晴らしく好演しているらしいのと、女優陣がもうめちゃくちゃに魅力的らしいので、おお配信があるなら…と念のため確認したら当たり前のように海外配信はないんだった。コロナが収まったころに、なんとかウェストエンドあたりにキャスト据え置きで持ってきてくれないだろうか。

 私の中のテレビが10年くらい前からやんわり止まっているので、あまりよく知らなかったんだけれど、主演俳優はここ数年当たり役を連発する実力者らしかった。日本で生まれ育ったのだとしたら、この規格外レベルの容姿で色んな事が沢山あっただろうなと謎の労りの気持ちが湧いてくるし、この演出家も気になるし、是非見たい女優もいるし、やはり気になるところだらけで特にめちゃくちゃミュージカル好きという訳ではないけれど、色々なつぼを押してくるので久しぶりにネットを漂った。

 

 それでこうして、こんな自分の体たらくを見つけて思った。結局私は未だ日本に住んでいるのだろう。今いる国で上演する舞台に、ここまで興味を持って調べてみる気になったことが全くなかったんだった。

 こちらでもいくらか舞台を観たり、気鋭の映像系アーティストのオペラの現代解釈を観てみたり、英語の映画やドラマを仏語字幕で観てみたり、逆に仏語を英語字幕で観たりとしてはいるけれど、自分の言語で100%理解出来ることの大きさを実感するばかりで、日本にいる時にそれなりに好きだったものに全く興味も愛着も好奇心も湧いてこないというのに、驚きもしているし残念に感じているし、何となく悲しく思っている。自分のものではない言語を理解するのに必死すぎて、感情まで伴ってこないのだ。

 義務教育から高等学校まで、日本に居なかった時期が僅かにあれど、その殆どの期間日本で国語を勉強してきたし、生活の空き時間に読書もしてきた私の第一言語ほどに、いつかフランス語が自分の中で己の言葉として追いつく日が来るとは、全く思えないのだ。馬鹿みたいな冗談を言い合う事は出来ても、何かを深く理解しようと思考する時、母国語以外で思索出来るようになるとも思えない。繊細な含みや言い回しの妙に心を打たれるレベルに成れるとも思えない。

 私は外国に住んではっきりと日本人になったと言えるだろう。もしくは日本人の自分を再発見したというところだろうか。

 それにしてもどうして世界は、こうも言語がばらばらに隔てられているのだろう。いやいや文化とはそういうものだとすぐさまどうでもよくなって、ブリューゲルバベルの塔をPCのデスクトップにしてみるなどいった青臭いことを未だにやっている。