もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

きらきらの最中には気づいていなかったし、結局そんなもん

 穏やかで何もない週末、別にロックダウン中でなくとも特段誰に会う予定もなかったであろうし、ぼんやり過ごすだけの生活に嗚呼すっかりコミュニケーション力が低下しきったなと感じるのは、過去のもなかを辿って、昔の自分に出会ってみたからだ。

 言葉回しも考えていることも、そりゃ自分は自分なのだから自分だろうと思うのだけれど、不思議な感じだ。なんだ結局根本は変わってないのだなと思う部分もあれば、遠くに消えていってしまったものが懐かしく浮かんで、また消えて行ったりする。顔ナシのエチケット袋として薄く細く放置しつつも手放さないで来たけれど、有り難い限りだもなか。

 思春期など若かった頃は、大人という者を別ものと考えていた。大人になったらどうなるのだろうと他人事のように想像して恐れ、きっと自由になって今よりももっとましな自分になっているはずだと期待もしていた。

 そんな自分が20代となり10代の青さを振り返っているのを、更に中年期となった自分が眺めて、深い親しみの念が湧いてくるのに感心している。よしよし頑張れよだとか、なるほど分かるわと思いかけて、そりゃそうだ人間が同じなんだからと立ち返る。こんな時、過去やその時の自分は点で存在しているのでなく、一線続きの延長にあるのだなとしみじみ実感する。私はいつまでたっても私のままだ。どの分岐点においても、別の素敵で強い何者かには変身しなかった。

 なんだけれど、10年以上前の自分の毎日のきらきらぶりに、うっかり微笑んでしまったんである。そうだった、私は社交的だったのだった忘れてた。毎週末あちらへこちらへ友人知人とイベントを楽しみ、その合間に人生に悩んだりして忙しく暮らしていたんだった。

 一言で言えば私は年並に若かったし、若い女の特権も存分に享受していたみたいだ。無自覚に、しかし積極的にその期間限定のアイテムを行使もしていただろう。だからだ。三十路を迎えるのがあれほど怖かったのは、知らずに浴びているその恩恵には期限があると分かっていたからだろう。ふんわりと思い出す。

 別段あの頃に戻りたいと思うほど輝かしい日々でもない。浴びるみたいにアルコールを摂取していたし、それなりに悩みもしんどいこともあった。ただただ、ああ…ああ、そうかそうか。と思うだけだ。

 あの頃の友人知人たちの殆どはもう、今どこで何をしているのかも知らない。深いことを話し合える大事な友人もいた。その内の僅かとは今でも薄らと繋がってはいても、お互いの立場や立ち位置があまりに遠くなってしまった。

 もうあの頃とは違うのだ。徐々に共有できるものが減っていくのは仕方がない事だ。逆に私の人生を面白く思わない人もいるんだろう。もにかはいいねなど言われると、隣の芝生って青いんですねと言い返したくもなる。意味が無いから微笑んで、そう?と言うだけだけれど。海外で輝く人材。美しいスローガンだと思うし、事実輝いている人も沢山居るだろう。しかし実際のところ私は実感として、ゴールのない頑張りレースで時々溺れかけている。

 きっと私は友情という人間関係を維持する努力を、著しく怠って来た。妹が自殺して10年経った。実際あれを機に私は大きく変わって、そこそこの期間は何も無かった顔をしていられる自信がなかったので出歩くこともなくなり、誘われても適当にかわして、その数年後には日本での生活を捨ててしまった。

 私は私のまま、色んなものを取りこぼしていく。きっと確かにそこに在ったのに、知らぬ間に指の間からするっと抜けて、落とした事にも気づかなかった。そしてこうやってふと振り返って、ああ幾つか手に入れても、同等かそれ以上に失っても来たなという生暖かい風が一瞬ちくりと胸を刺し。

 こうして私は別の何者に成れるでもなく年を取っていく。あんなになりたくなかった中年になって、それを意外と当たり前に受け止めつつ鏡を見て少しく悲しくなり、頭を整理したくて言葉を探しても、何が片付く訳でもない。

本当にいたんだろうかとも思えてこなくもないような気もする事

 ふと妹のことを想う。妹と過ごした時を懐かしく思う。幽霊でいいから会いたい。話がしたい。化けて出てきて欲しい。好きな飲み物で出迎えるから。

 東京に戻って一緒に住む約束を守らなかったことを謝りたい。背負ってあげずにいたことを謝りたい。でも私にも手放したくない生活があったと分かって欲しい。それももう遠くに消えてしまったけれど。傷つけたことを謝ってほしい。苦しめて悪かったと謝ってほしい。

 妹のニットもストールも、もう妹の匂いはしない。35歳になって帰ってきて欲しい。甘ったるいカクテルと一緒に積もる話がしたい。さびしい

 年に1度か2度、特に理由はなく、ふとこんな日が来る。

 出来ることは何もないから、カルバドスを飲んでお気に入りの香水をかぶって寝てしまえ。明日は別の日。

面倒くさいなもう

 人は歳を重ねるごとに賢く図太くなっていける。それは本当だ。強く鈍感に狡くなっていける。それもある意味本当だ。
 
 けれどそれがどんどん生きやすくなっていく、というのとそのままイコールではないというのは知らなかった。根源的な苦しさは増していくばかりではないか。掴めずに指の間からこぼれていったものが増えていくのを知っていくのが年の功ならば、ほんともう、長生きなんて罰ゲームでしかないように見える。
 
 自分が誰なのか知っているし、何が好きなのかも知っている。私の現在が幸せに見える何かのような形に似ているのも知っている。
 底無しに優しいパートナーと一緒にお酒を飲んだり料理したり買い物に行ったりきのこ狩りしてみたり旅行したり家を買ってみたり。そこに居る事をありがたいと思う。仕事も極めて順調だし楽しい。そこそこ裕福な親も健在でやんわりと疎遠だ。
 この全部、取り囲むものへ愛情はないけれど、全てに愛着はある。分かってはいるのだ。私は自分に必要なアイテムは一応持っている。
 穴の空いた器に砂を注ぎ続けているような感じだ。いつも足りない。空虚で乾いていて、この立ち込める負の靄は一体何なんだ。
 
 ここで踏み留まって立て直さなければ、人格がどんどん歪んでいってしまう危機感が強くある。偏屈で不満だらけな皮肉屋の老女へと向かう方向へ。
 今まで上手く隠して立ち回れてきたのに、ここへきてそれがふとした時に、リアルの場に漏れ出てしまっているような気がして、とても不安だ。それだけは避けたいのだ。今までだって、常に見られたい自分を演じてこれたのだから。
 実際私は上手くやれていたはずだった。他人とつつがなく楽しくやるのも得意だったし、コミュニケーションにおいて困ったことは無かった。
 
 だから、このたちこめる負の靄は一体何なのだ。
 私は強い。私は自由だ。言い聞かせても靄は晴れない。私は何が欲しいのだろう。何と戦っているんだろう。何を根拠に四面楚歌になっているのか。何をどう克服すれば上手く処理できるのだろう。変に器用にこなしてきたしわ寄せが来たというのだろうか。そうだとしたら、対処のしようがないではないか。
 
 母国語で会話したい。同じ温度で同じ質量で。私はたぶん言葉に飢えているだけだろう。そしてこれは単なるスランプ。人生のスランプ。黙ってやり過ごせば過ぎていくはずだ多分きっと恐らく願わくば。
 
 そんなことを、年の近い有名女優の自死を知って考えていた。芸能人なれば承認欲求は一般人よりもかなり強いのだろうと想像するけれど、それにしても何もかも持っているように傍から見える人物であったとしても、心の内なんて誰にも分らない。
 彼女の穴が何だったのかは知らない。ふとした時に、ぶわっと穴に飲み込まれてしまったのかなあと想像するだけだ。残された家族の今とこれからを想って胸が痛む。死者にとっての生きる意味になり得なかった者、生に踏み留まるほどの価値になり得なかった者としての人生に身を置いて行くことになるのだから。