もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

10代閉塞感くさくさ

mxoxnxixcxa2005-11-11

 振り返れば思春期の女子が自分を女性であると受け入れるのには、ある種の諦めの段階を経ているような気がする。
 女子であるというだけでなんでか望んでもいないのに生理がきて、体がやたらむちむちしてきて、外見でもろに計られ、高校生にもなれば全身性器みたいな目でみられ、痴漢にあい、制服で歩けば見知らぬおっさんに「3万じゃだめ?」なんてナメ切ったことを言われたりする。
 これはどう考えても割に合わないし、女って損じゃないの?と思えて仕方がなかったのだった。ねとねとしたグループ関係に溶け込み、脅迫みたいに流行に追いかけられ、贅肉は汚物みたいに見えるし、女になっていくことはぜんぜん嬉しいことでも楽しいことでもなかった気がする。その一方、焦るみたいに脱処女へ駆り立てられ、もう何が何だか。
 ここに思春期特有の自分を特別視したい気持ちが絡むと、もうたまらんつまらなさ。何?私は女に埋没するわけ?賢くて理不尽な母みたいな感じ?おまけに人の目は気になるわ、自己イメージは揺らぐわ、ささいなことで必要以上に傷つくわで自意識に振り回されて疑心暗鬼にもなれば、被害妄想じみた感傷でいっぱいになり大げさな絶望感に取り付かれたりする自分にうんざり。狭い世界でノリの悪さに敏感になり、頭を冷やせばどうとでも考え直せそうなことが何とも出来ない。ヤダもう!
 もうヤダ女なんて。ボクは疲れたよ。「誰かボクを助けてください。ボクは独りだ」 これが10代のボク女のメンタル構造じゃないかなと思うので、一人称を「私」にして生々しい自分の感情に触れるより、何か純粋性の記号みたいな「僕」というキャラに感情をゆだねて自己演出に浸る方が気持ちいいんじゃなかろうか。女としての生々しさなんかいらないのだ。ドリーミンな世界でうっとりしたい。苦痛だって美しく演出して浸りたいのだって乙女なんだもの。むしろ現実のくだらない自分なんてヤダ。綺麗な絵空事が好き。ネットはドリーミンを加速させる。