もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

ほんとにただの雑記

mxoxnxixcxa2011-06-13

 去年の今頃、何をどう考えながらどんなふうに時間が過ぎていったかを、覚えているけど思い出せない。
 妹が自殺した。妹が自殺した。自殺した。自殺した自殺した自殺。した。した。って常日頃とめどなく一日中縛られて暮らすこともなくなった。私には私の生活が元々あった。取り戻したわけではないけれど、うまいこと住み分ける術を私は見出したのだろうと思う。
 けれど日常から切り離したからこそ、ふとした瞬間に私の日常にふわっと混じり込んできたとき、何だかもう、見えない何かにぼこぼこに殴られているような感覚に陥って、くらっとする。そうかと言って一日のほとんど、そのふとした瞬間が隣り合わせで、私はそれを無視しているだけのこと。こうして私は慣れていくんだろう。
 写真を見直す気にはなれないけれど、遺品の靴や服は、すっかり私の日常に溶け込んでしまって違和感も薄れた。デコったミニチュア骨壷を振ってみるとカラカラ高い音がする。だからどうしたって感じ。これが妹だった証拠がどこにあるのだろうか。妹がいた証が見当たらない。悲しいわけではない。寂しいというのも違う。痛みみたいなものなんだろうか。この何だかよくわからない暴力みたいな感覚以外に、妹がいた証拠が見つからない。それで、このよく解らない感覚も気づいた時には薄れているんだろう。
 そのことに罪悪感を抱くまい。しかしけれどもやっぱりそれでもどうしても、妹が生きた証が見当たらない。ただ単に、妹が生きた証が見当たらない。この不思議な感覚は言葉に置き換えられない。忘れることはたぶんこの先もない。けれど遠ざかっていくのだ。ただ単に。