もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

私はたぶん、きょうだいてものもそんな風に思っていたのだと思う。

mxoxnxixcxa2011-06-23

 何となく続いていくシリーズドラマのシーズンの前半を見た後、後半が見れなくなったような感じ。
 続きが見たかった知りたかった。妹の人生のこの先を見ていくものだと思っていた。私と妹が、この先どんな風に年をとっていくのかを、ごく普通に見ていくものなのだと思っていた。
 私たちがどんな老女になっていくのか想像してみたこともあった。私が独り暮らしの変わり者老女になっても、妹は孫やらに囲まれて、「もうほんとに、もにちゃんは仕方ないなあ」なんて言っているんだろうと思っていた。そうして、ごくごく当たり前に、私が先に死ぬものだと思っていた。だって妹は遅れて我が家にやってきて、いつだって私の後を追う形で年を重ねてきたからだ。
 あの夜、どうにかあの一夜だけでも、なんとか乗り越えて欲しかった。私のためにそう思う。仮にあの一夜を乗り越えたとしても、それでも他の夜が来ただけだっただろうか。
 自分で選んだことなのだから、これで良かったなんて思ってやる気には、なかなかなれない。たぶん絶対一生ずっと難しい。だって、生きて乗り越えて生きていくべきだったって、心底思うからだ。自殺する自由があるのなら、それを断罪する自由だってある。どうにかして25歳の山を越えて欲しかったのだ。驚くほど色んなことに麻痺して鈍く図太く冷めていく、言い換えれば賢く強く割り切れるようになって、若さの持つ過敏さの代わりに手に入れていくものに気づき始める、その山を越えて欲しかった。越えられないほど頭が悪くも愚かでもないことも知っていた。
 結局最後に残ったのは、最初に感じたことと同じだ。やりきれなさだけ。悲しさや寂しさみたいな、明確な感覚というか他の状況でも抱えうる感情では言い表せない。ただただやりきれない。やりきれないのだ。遣る瀬ない。何処にというでもなくただ何となく、ぽつん、て取り残された。そんな感じ。
 ひとしきりのことを私なりに理解や共感をした上で、ひとしきり考えた後で、それでも思うの。自殺はやっぱり身勝手で卑怯な行為だって。だって可哀相なのは自死を選んで実行した人間ではない。残る人間たちの方だ。言い様のない罪悪感を一生、沈黙したまま背負って生きていかなければならない。これがどれほどのことか、私にだってその重さはまだ分からない。
「苦しんでたなんて何も知らなかった」と、「知っていたけれど、助けてあげられなかった」と、どちらがマシだったろうか。「気づいてあげるべきだった」というのと、「もっと何かしていたら、こう言っていたら、ああしていたら」というのと。
 どっちも結局同じことだろう。つまるところ、他人は他人を救うことなんて絶対にできない。そう思わなければやっていけない。自分を救えるのは自分だけ。それに気づいて欲しかった。何かを期待して、得られないことに絶望してしまうなんて空しい。そして、それで、結局、やっぱり、他人の心の内なんて誰にもわからないのだ。
 私の身勝手な言い分だけれど、言ったっていいじゃない。ネットに穴掘って、王様の耳はロバの耳って。もなかはその穴なんだもん。先に死ぬなんてずるい。おねがいかえってきて。
やりきれない。