もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

ふうん、と思うばかり

mxoxnxixcxa2017-10-19

そうか、そろそろ誕生日だったはずだったかとふと思ったのは、何気なく妹のことを思い出したから。
えっと、己の年から逆算して、それで24歳で死んでしまったってことは、そうかあれから7年経ってるのかと、特に何がどうなるでもなく考えた。
思い出す時の妹はたいてい、最後に会った時の、自室でベッドに腰かけてうなだれてる姿か、棺桶の中の、顔色が変わって冷たくなった姿だ。ドライアイスのせいか、本当に冷たかったあの感触を覚えている。
妹に関して思い出すのが、何かのイベントなりのワンシーンや楽しかった思い出の一場面ならいいのに、身内だけあって、あれこれと共有した時間が当たり前に多すぎて、逆にこれといって代表的な選ばれし場面が浮かばないみたいな感じ。というか全部吹き飛んで、それだけが残ってしまったような感じだ。

そっか、32歳になってたかも知れなかったかも知れないのか。それは私も若干というか、はっきりと明確に年を取るはずだわ。

妹はいつまで経っても24歳で、私だけ年を取っていく。それで、年を取りながらそれでも生きていかなければいけない。妹なんていなかったような感じで、過去を可能な範囲で切り捨てて。でもそれを悪いこととは思わないでおこうと決めている。私は生きていかなければいけないし、妹がいた、けれど自殺で死んでしまったということは、私の中に納めておけばいいことだ。

自死」という匂いのするものに、時々人は物凄く醜悪なゴシップ魂を発揮してしまうことを知っている。悲しむ顔で近寄って根掘り葉掘り聞きだそうとしたり、勝手に責任を感じたり、悲しんでいる自分を遺族にアピールしてみたり。どれも悪意のないものだ。けれど悪意がなければいいという訳ではないし、もうそういうことは、十分に経験した。にっこり笑って受け流しながらもやもやするくらいなら、そもそも告知しなければいいだけの話だ。家族構成を訊かれても現存の面々のみ答えるのは、別に嘘を吐いてるんじゃない。必要情報以外を述べないだけ。こうやって、うっすらと壁を作ってやっていくしかないのだ。

それで時々こうやってふと、自分には妹がいたんだなあって、ずきんとする部分に触れてみる。妹の顔は思い浮かべることが出来る。けれど声はどうだろうか。彼女の口調は思い出せても、声はもうはっきりと頭の中で再生できない。

ついでに32歳くらいになって、それなりにキャリアを積んだり、母親になったりしている妹の姿を想像してみるけれど、全く浮かばない。当たり前だ。24歳で死んでしまったのだから。こんな風にいつまでも妹は24歳のまま、私は年を取っていく。

私はきっと心から幸せには一生なれないだろう。満たされる感覚を持つことはないんだろう。でも生きていくしかないんだなあって、ワインの国で本日も一杯やりながら、久しぶりに妹のことを何ていうでもなく、ふと考えた日。