もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

どうしたものだろう

 日本語を話すのは月に1度あるかないか、スマホで少ない友人とやりとりするか家族に近況報告する以外、日本語をまともにアウトプットすることがほとんどない。ペンで紙に何かしら日本語を書くとなると、1年に何度あるだろう。

 という生活を繰り返して、たぶんだけれど脳の使い方が変わってしまったのか日本語に詰まることがある。頭の中で言葉を探す時、以前はこんなことまずなかった。あ、これなんて言うんだっけ、この感じを表す言い方あったよな、これを文語でなんて言うんだっけ、なんてことが増えてきた。

 私はあんなに言葉に飢えていたのに、どうなってしまったのだ。それに伴っているのか知らないけれど、たまに自分でも心配になるくらい記憶力が低下してきた気がする。

 日本語の本を読むこともないし、かといって仕事して帰って来た家で毎日コツコツこの国の言語を勉強するという努力の才能もなく、ただただぼんやりネットで動画を眺めているだけというのは、まずいと思う。英語を喋ろうとしてもフランス語が混じってきて元々得意でない英語力も無残なことになっているし、そのフランス語だって小学生並ってとこだし、とにかく頭がどうかしてきたんじゃないかと不安だ。

 母国語が片言になることはないだろうが、思考力が著しく低下しているのが恐くなってきたので、もなかの顔ナシの利点を有効活用して、少し思考のリハビリでもしていこうと思う。

とても乾いた感覚だ

 先日、日本の若い人気俳優が自殺したとネットニュースで見た。あまりこの世代の俳優を知らないけれど、私でも見かけたことのある綺麗な俳優だった。

 人生の生きづらさは外からでは見えない。手元に最後に残った選択をしたのだろうと思うと、関係ない私にはその選択について何も言えない。

 そのままの流れで、その当日、彼の友人だったらしい美しい容姿の俳優が、泣き崩れそうな顔で耐えながら歌う姿がテレビで流された様子も見た。整った顔が大きく歪んでいるのが画面にアップになって映っていて、胸が痛む残酷な風景だと思った。むごい業界だなと思った。そう思いながら私もまた、彼の悲しみが動画になって、ネット上でまるで舞台に感情移入するみたいに感動感動で消費されていく状況に参加する一部なのだった。

 残された者である彼の顔を見たら、10年前のことが先週のことのように浮かんできた。母からの電話の一言一句とその口調や、それを聞きながら目の前の階段の一か所をぼんやり見ていたこととか。手が震えて通話を切るボタンがうまく押せなかったこととか、電話を切って泣くでもなく「どうしよう、どうしよう」と大きめの声で独り言を繰り返していたことや、全身の血の気が上がったのか引いたのか、熱いのか寒いのかわからない脱力感とか。

 一体何割くらいの人が人生で友人や家族、それなりに近しい人物を自殺で失っているものなのだろう。家族と友人とでは距離感は違うけれど、身近な自殺者を持つ人は、きっと想像するよりも多いんだろう。

 

 妹が自殺して10年が経った。あれから10年、日本より現在いる国での居住の方が長くなった。思い出のない、妹の居た過去のない国だ。

 葬儀や遺品整理以後、実家にある遺影以外、あれから一度も妹の写真を見ていないし、身内とすら妹を話題にすることはない。両親や男兄弟には、妹は何か愛しいものとして残っているようにもみえるけれど、私はそこへはいけない。ぼかっと大きな黒いものが体の中に出来て、それを見せないようにして暮らしてきた。

 許せない、というのとも違う。気の毒なことをした可哀想だった、というのとも違う。ただただ暴力的な穴がぽっかり開いたという感じだ。夢でいいから会いたいと思っていても、夢の中で会話をしたこともない。幽霊でいいから会いたい。謝りたい。そして謝ってもらいたい。そしてずっと見てたよって言って欲しい。頑張ったねって言って欲しい。

 私はたぶん、本当に喪失が辛かったんだろう。そして多分かなり薄情で自分本位で、死者を思いやる気持ちを持ち合わせていないのだろう。手のひらサイズのプチ骨壺は寝室の香水の瓶に紛れて並んでいる。いつかこれをどうにかしなければいけないという訳でもないから、私が死んだ時に一緒に灰にして、何処ぞにもろとも撒いてもらえればそれでいい。その時、それをしてくれる誰かが私にいるだろうか。

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ようやく根が生えた

 二重国籍を持てぬお国に生まれた身として、このボンジュ―ル国で私の持ち得る限りで最強となるカードを手に入れました。いやっほう。自力でなんとかやってきた。ようやく根をおろせるのだ。

 この国に来るにあたって、この田舎町に繋いでくれた友人と、滞在と就労のチャンスをくれた人と、もう一人、言葉がまるで通じない頃から私を何故かとても認めて目をかけてくれていた人の3人が、この国における人生の重要な恩人だと思っている。

 先日その3人目の恩人が他界して、ものすごく後悔しか浮かんでこない。

 闘病していると知っていながら、なぜもっと頻繁に連絡を取らなかったのか。なぜ思い切って会いに行かなかったのか。なぜきちんと伝えずにいたのか。なぜあれをしなかったのか。なぜこれを放置しておいたのか。なぜそれをせずにいたのか。

 故人への思いはたくさんある。奥さんに手紙を書いてその思いの丈をぶちまけたら楽になるだろう。誰かが他界した時に襲ってくる、嗚呼もっと何か出来たのにという苦い後悔やら無力感やら自己嫌悪などを吐き出して押し付けたら、気が軽くなるだろう。

 え、あれ?これ知ってる。

 もうすぐ10年になるあの時の、あれ。あれと同じことだ。死者へ勝手に責任やら反省やらを抱いて、遺族に述べてくるあれ。え?お前に出来ただろうことなんて何もないけど?なに自分を買いかぶってんだかっていう、あれ。自分に酔いしれてないで、ちょっとは思いやりがあるなら、そっとしておいてくれっていうあれ。他界の種類は違えど、同じことだろう。

 よく知ってたんだった。危ないところだった。幾つになっても自我を飼いならすのって難しい。

 いつか奥さんと道ですれ違ったら、彼への感謝の思いを忘れたことはないという、お礼の言葉だけを述べようと思う。沈黙が最大の思いやりになる時はある。葬儀はしない、誰の訪問も希望しないという奥さんのスタンスを尊重して、黙っているべき時。

 でもどうして私はもっと、ああしなかったんだろう。どうして、ああせずにいたんだろう。手遅れになる前に、どうしてどうしてどうして。

 ものすごく苦い。やっすいワインが苦い。まあいいか、で先延ばしにして放置していたのだ。人生が思っている以上に儚くて呆気ないものだってことを、これまでだっていくらでも学んできただろうに。