もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

ようやく根が生えた

 二重国籍を持てぬお国に生まれた身として、このボンジュ―ル国で私の持ち得る限りで最強となるカードを手に入れました。いやっほう。自力でなんとかやってきた。ようやく根をおろせるのだ。

 この国に来るにあたって、この田舎町に繋いでくれた友人と、滞在と就労のチャンスをくれた人と、もう一人、言葉がまるで通じない頃から私を何故かとても認めて目をかけてくれていた人の3人が、この国における人生の重要な恩人だと思っている。

 先日その3人目の恩人が他界して、ものすごく後悔しか浮かんでこない。

 闘病していると知っていながら、なぜもっと頻繁に連絡を取らなかったのか。なぜ思い切って会いに行かなかったのか。なぜきちんと伝えずにいたのか。なぜあれをしなかったのか。なぜこれを放置しておいたのか。なぜそれをせずにいたのか。

 故人への思いはたくさんある。奥さんに手紙を書いてその思いの丈をぶちまけたら楽になるだろう。誰かが他界した時に襲ってくる、嗚呼もっと何か出来たのにという苦い後悔やら無力感やら自己嫌悪などを吐き出して押し付けたら、気が軽くなるだろう。

 え、あれ?これ知ってる。

 もうすぐ10年になるあの時の、あれ。あれと同じことだ。死者へ勝手に責任やら反省やらを抱いて、遺族に述べてくるあれ。え?お前に出来ただろうことなんて何もないけど?なに自分を買いかぶってんだかっていう、あれ。自分に酔いしれてないで、ちょっとは思いやりがあるなら、そっとしておいてくれっていうあれ。他界の種類は違えど、同じことだろう。

 よく知ってたんだった。危ないところだった。幾つになっても自我を飼いならすのって難しい。

 いつか奥さんと道ですれ違ったら、彼への感謝の思いを忘れたことはないという、お礼の言葉だけを述べようと思う。沈黙が最大の思いやりになる時はある。葬儀はしない、誰の訪問も希望しないという奥さんのスタンスを尊重して、黙っているべき時。

 でもどうして私はもっと、ああしなかったんだろう。どうして、ああせずにいたんだろう。手遅れになる前に、どうしてどうしてどうして。

 ものすごく苦い。やっすいワインが苦い。まあいいか、で先延ばしにして放置していたのだ。人生が思っている以上に儚くて呆気ないものだってことを、これまでだっていくらでも学んできただろうに。