もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

白黒以外のグレーの部分

 週末の一日目を何もしないでぼんやりと終えようとしていることに心底がっかりするし、何もしなかった自分にうんざりする。

 もっと頑張れるだろうもっと頑張らなければならない。休日だからこそ出来ることがあるのに、何をしているのだと考えながら、ぼんやり取りあえずチョコとお酒を嗜んでいたところにパートナーが来て、「どうしたのだ」と。

 別に何もないし、ちょっと疲れているし自分にうんざりしているし自分の人生にうんざりしているのだとついうっかり正直に答えてしまい、パートナーは傷ついた顔をして、「ありがとう、そんなことを言ってくれて」と仏人らしい皮肉な言い回しをしてから、「自分がいるのに」と言った。慌てて適当な冗談を言って誤魔化した。得意の笑顔で。

 こういう時に何て言うのが正解なのだろう。「いやいや、あなたがいるから私の人生は輝いている」だとか、そういうことを言えば良いのだろうか。自分の言語ではない仏語でなら口から出まかせで言えなくもないし、むしろ平気で言える。台詞を読むのと変わらないからだ。けれど自宅でも演技するのはしんど過ぎではないだろうか。ただでさえ私の人生は、外部に向けてもほころびが隠し切れなくなってきているというのに。それで相変わらず私はクソみたいな性格してんなとうんざりする。疲れた。だからと言って私が他者を傷つけていいということにはならない。なんだか全体的に疲れて、もう本当にうんざりだ。

 大分前にコメントで「白黒以外のグレーも愛せるようになるといいね」と言われたことがあって、なぜかそれをよく覚えている。グレーの部分を価値のあるものだと思い込むこと、そう振舞うことにも意義はある、それが生活というものだといった様な意だったと思う。確か、家族とは得体が知れない物だけに持つ気にはならない、けれどどうしようもない憧れも同時に抱えている気もする、といった様なことを書いたのかも知れない。

 正直なところ、そうまでしなければ守ることが出来ないグレーの部分など、本当に意味があるものとは思えなかった。そこまでしてやっと維持できるものならば、手を抜けばあっけなく壊れるだろうし、不確かすぎる。そんなものに常に気を砕いて必死で維持し続けることに、意味が見い出せる気がしなかった。いつか壊れて失うと分かっているものなら要らない。

 そしてふと今日、その言葉を思い出したんだった。今私がいるのは、あのグレーの部分なのだろう。ここにあるグレーは確かに、意味があると自分に言い聞かせて、守ろうとしてみるに値するものだと思える。気がする。ように感じるでもないと言えなくもないかも知れないよね、分からんけれど。パートナーはふわふわと柔らかくて優しいだけで、劇的な何かを与えてくれるでもないけれど、穏やかで平坦な何か、私を何か良い者の方に繋ぎとめてくれる人だと言う事だけは、理解してはいるのだ。優しい貴重な人だ。家族になる気はないけれど、きっと私には必要な人のはずだ。

 そもそもこの国は、同性婚を早い段階で成立させる面もあれば、結婚制度への重要視をいち早く手放したという奇妙な両面性を持つので、とても居心地の良いところがある。要はどうでも好きにすればいいし、他者の人生に干渉はしませんよという感覚が一般的に浸透していて、詮索もされなければ頼んでもいないのにメリットを語って勧められるということもないので、結婚願望がまるでない者にとっては大変気が楽なのだ。

 そうでなくても生きていくのは何というか、大変で苦しいばかりで重たいし、私の手に余ると青い頃から思っていても、まだ続いていく。しんどいな、さっさと辞めてしまいたいではないか、こんな実のないレース。

 でも知っている。レースをしないという選択も実はあるのだ。穏やかに手元のグレーを大事に育んでいくという生き方もきっとある。勝ち負けではないし、たった一人の誰かに存在を認めてもらえれば、もっと上に上にもっともっとレースに参加しなくても、恐らく人生は温かい柔らかいものに成り得る。と思いたい。でも私は勝ちたいのだ。認められたい求められたい認められたいの。でも誰に?たぶん最終的には自分に。分かっているのだ。そんな日はきっと来ないし、何をしても何を得ても私は満たされないし充分には成らない。

 誰かと会話したい。もうずっと会話に飢えたままだ。母国語で本音を言っても大丈夫な相手と、その後に持ち越さない関係で。例えば妹と。妹と。私の妹と。10年前に病んで死んでしまった。きっと彼女は「しょうがないなあ、もにちゃんは」といって笑って、毒にも薬にもならない温かい事ことを言って流してくれただろう。私もまた彼女の日々の鬱憤を流して翌日が来ただろう。

 その妹は未だに24歳のまま、私だけが年を取っていく。何も無い訳ではないし、色々と人生ゲームでゲットしてきた。でもいつも足りない。何かがいつも足りないままだ。

 あのコメントをくれた人は今でも、あのグレーの部分を守っているのだろうか。彼女の守っている本当はどうでも良いのかも知れないこと、価値が無いのかも知れない灰色のものたちは、今でも彼女に寄り添う空しい大切なものであるだろうか。きっとそうだと思うし、そうであって欲しいと心から思える。そんなことをふいに思い出した何もない土曜日。

 だからNINEを観たいと言っているのだ。評判が良すぎるだろう配信でもいいから観たいのだ。妹がまだ居たら、私が興味があると言う前に観てきたと自慢して来ただろうなと思いかけて、止めた。意味がない。意味がまるで無いから今日はパートナーにお酒を飲ませて、酔ったところにありがとう傍にいてくれて。私はクソだけれど、あなたは優しい何者かだというくっさい台詞を他国の言葉で伝えて終えるのが目標。

 言いたいのはこれだけ。とりあえず母国語で王様の耳はロバの耳穴に吐き捨てて、明日は別の日にしてしまえ。こうやってあと30年くらいは残っているのだろうか、何とか過ぎて行けば良い。言えるのはもうそれだけ。久しぶりにすごく飲んでしまったから

 

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「求める物はまだ見つからない。けれどこれだけは言える。人生はカーニヴァルだ、共に生きよう」

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 フェリーニ8 1/2のラストが好きでたまらないのだ。振っても絞っても、もう何も出て来ない天才が呟き続けるクリエイトの苦悩と思い出の数々。伊語をベースに英語仏語が混ざり込み、現実と空想と記憶が境界なく切り替わり続ける白日夢と、その何もかもをお祭り騒ぎにして煙に巻く終焉が、本当に好きだ。

「ようこそ、お帰り」 

 もういないあの人も、傷つけてしまったあの人も忘れられないあの人も、通り過ぎていったあの人達も、あの思い出もその思い出も何もかもが溢れ出て、全ての登場人物たちが手を取って笑い合って輪になって、マーチングに合わせて回っている。大切にしたかったあの人に微笑んで、さあ一緒にと手を差し伸べる。

 一時の絵空事なのかも知れないし、そうではないのかも知れないけれど、人生という映画の終焉にはこんな音楽が響いていて欲しい。そしてカーニヴァルが去って、暗く静かな寂しさが残るところで映画はぱっと終わる。好きだ。


 とか、この映画を思い返していたのは、え、いま日本でNINEやってるのか!と知ってしまったからで、それは気になる気になると少し情報を見て回り、一瞬ふふっとなった。

www.umegei.com

 え、これメインビジュアルは、これで正解…なんだろうか。うっかり「おお懐かしい、マンソンがアルバム出したのかな」など思いそうにならなくもないし、個人的にはすごく好きな世界観だし、美しいしクールだとも思うし、何なればシンプルな額に入れてうちの廊下にでも飾りたくなるような雰囲気だし、そうかなるほどグイドのクリエイティブの苦悩や内面を掘る方向なのかなと思えなくもないし、いやいやここはこのイメージ通りに無理矢理ホラー仕立て…だとしてもまあそれはそれで観てみたい。

 原作の、あのごりごりに陰影が格好いい絵面と装飾的なタイトルロゴのお洒落感というか洒脱な雰囲気からの、ゴス仕様。どんな解釈の飛躍を遂げているのだろう。このマンソン的な美しいヴィジュアルワーク、誰が手掛けているのだろう気になる。これは正解…なのかどうかも含めて、やはり気になる観たい何とかしたい。

 ミュージカルの映画版は、豪華なパッケージの割には中身が物足りず、しかし空虚なところがハリウッドらしくて良かったんだけれど、あまり印象に残っていない。兎にも角にも今やっているというマンソンNINEは演出がすごく面白そうなのと、主演が素晴らしく好演しているらしいのと、女優陣がもうめちゃくちゃに魅力的らしいので、おお配信があるなら…と念のため確認したら当たり前のように海外配信はないんだった。コロナが収まったころに、なんとかウェストエンドあたりにキャスト据え置きで持ってきてくれないだろうか。

 私の中のテレビが10年くらい前からやんわり止まっているので、あまりよく知らなかったんだけれど、主演俳優はここ数年当たり役を連発する実力者らしかった。日本で生まれ育ったのだとしたら、この規格外レベルの容姿で色んな事が沢山あっただろうなと謎の労りの気持ちが湧いてくるし、この演出家も気になるし、是非見たい女優もいるし、やはり気になるところだらけで特にめちゃくちゃミュージカル好きという訳ではないけれど、色々なつぼを押してくるので久しぶりにネットを漂った。

 

 それでこうして、こんな自分の体たらくを見つけて思った。結局私は未だ日本に住んでいるのだろう。今いる国で上演する舞台に、ここまで興味を持って調べてみる気になったことが全くなかったんだった。

 こちらでもいくらか舞台を観たり、気鋭の映像系アーティストのオペラの現代解釈を観てみたり、英語の映画やドラマを仏語字幕で観てみたり、逆に仏語を英語字幕で観たりとしてはいるけれど、自分の言語で100%理解出来ることの大きさを実感するばかりで、日本にいる時にそれなりに好きだったものに全く興味も愛着も好奇心も湧いてこないというのに、驚きもしているし残念に感じているし、何となく悲しく思っている。自分のものではない言語を理解するのに必死すぎて、感情まで伴ってこないのだ。

 義務教育から高等学校まで、日本に居なかった時期が僅かにあれど、その殆どの期間日本で国語を勉強してきたし、生活の空き時間に読書もしてきた私の第一言語ほどに、いつかフランス語が自分の中で己の言葉として追いつく日が来るとは、全く思えないのだ。馬鹿みたいな冗談を言い合う事は出来ても、何かを深く理解しようと思考する時、母国語以外で思索出来るようになるとも思えない。繊細な含みや言い回しの妙に心を打たれるレベルに成れるとも思えない。

 私は外国に住んではっきりと日本人になったと言えるだろう。もしくは日本人の自分を再発見したというところだろうか。

 それにしてもどうして世界は、こうも言語がばらばらに隔てられているのだろう。いやいや文化とはそういうものだとすぐさまどうでもよくなって、ブリューゲルバベルの塔をPCのデスクトップにしてみるなどいった青臭いことを未だにやっている。

きらきらの最中には気づいていなかったし、結局そんなもん

 穏やかで何もない週末、別にロックダウン中でなくとも特段誰に会う予定もなかったであろうし、ぼんやり過ごすだけの生活に嗚呼すっかりコミュニケーション力が低下しきったなと感じるのは、過去のもなかを辿って、昔の自分に出会ってみたからだ。

 言葉回しも考えていることも、そりゃ自分は自分なのだから自分だろうと思うのだけれど、不思議な感じだ。なんだ結局根本は変わってないのだなと思う部分もあれば、遠くに消えていってしまったものが懐かしく浮かんで、また消えて行ったりする。顔ナシのエチケット袋として薄く細く放置しつつも手放さないで来たけれど、有り難い限りだもなか。

 思春期など若かった頃は、大人という者を別ものと考えていた。大人になったらどうなるのだろうと他人事のように想像して恐れ、きっと自由になって今よりももっとましな自分になっているはずだと期待もしていた。

 そんな自分が20代となり10代の青さを振り返っているのを、更に中年期となった自分が眺めて、深い親しみの念が湧いてくるのに感心している。よしよし頑張れよだとか、なるほど分かるわと思いかけて、そりゃそうだ人間が同じなんだからと立ち返る。こんな時、過去やその時の自分は点で存在しているのでなく、一線続きの延長にあるのだなとしみじみ実感する。私はいつまでたっても私のままだ。どの分岐点においても、別の素敵で強い何者かには変身しなかった。

 なんだけれど、10年以上前の自分の毎日のきらきらぶりに、うっかり微笑んでしまったんである。そうだった、私は社交的だったのだった忘れてた。毎週末あちらへこちらへ友人知人とイベントを楽しみ、その合間に人生に悩んだりして忙しく暮らしていたんだった。

 一言で言えば私は年並に若かったし、若い女の特権も存分に享受していたみたいだ。無自覚に、しかし積極的にその期間限定のアイテムを行使もしていただろう。だからだ。三十路を迎えるのがあれほど怖かったのは、知らずに浴びているその恩恵には期限があると分かっていたからだろう。ふんわりと思い出す。

 別段あの頃に戻りたいと思うほど輝かしい日々でもない。浴びるみたいにアルコールを摂取していたし、それなりに悩みもしんどいこともあった。ただただ、ああ…ああ、そうかそうか。と思うだけだ。

 あの頃の友人知人たちの殆どはもう、今どこで何をしているのかも知らない。深いことを話し合える大事な友人もいた。その内の僅かとは今でも薄らと繋がってはいても、お互いの立場や立ち位置があまりに遠くなってしまった。

 もうあの頃とは違うのだ。徐々に共有できるものが減っていくのは仕方がない事だ。逆に私の人生を面白く思わない人もいるんだろう。もにかはいいねなど言われると、隣の芝生って青いんですねと言い返したくもなる。意味が無いから微笑んで、そう?と言うだけだけれど。海外で輝く人材。美しいスローガンだと思うし、事実輝いている人も沢山居るだろう。しかし実際のところ私は実感として、ゴールのない頑張りレースで時々溺れかけている。

 きっと私は友情という人間関係を維持する努力を、著しく怠って来た。妹が自殺して10年経った。実際あれを機に私は大きく変わって、そこそこの期間は何も無かった顔をしていられる自信がなかったので出歩くこともなくなり、誘われても適当にかわして、その数年後には日本での生活を捨ててしまった。

 私は私のまま、色んなものを取りこぼしていく。きっと確かにそこに在ったのに、知らぬ間に指の間からするっと抜けて、落とした事にも気づかなかった。そしてこうやってふと振り返って、ああ幾つか手に入れても、同等かそれ以上に失っても来たなという生暖かい風が一瞬ちくりと胸を刺し。

 こうして私は別の何者に成れるでもなく年を取っていく。あんなになりたくなかった中年になって、それを意外と当たり前に受け止めつつ鏡を見て少しく悲しくなり、頭を整理したくて言葉を探しても、何が片付く訳でもない。