もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

本当にいたんだろうかとも思えてこなくもないような気もする事

 ふと妹のことを想う。妹と過ごした時を懐かしく思う。幽霊でいいから会いたい。話がしたい。化けて出てきて欲しい。好きな飲み物で出迎えるから。

 東京に戻って一緒に住む約束を守らなかったことを謝りたい。背負ってあげずにいたことを謝りたい。でも私にも手放したくない生活があったと分かって欲しい。それももう遠くに消えてしまったけれど。傷つけたことを謝ってほしい。苦しめて悪かったと謝ってほしい。

 妹のニットもストールも、もう妹の匂いはしない。35歳になって帰ってきて欲しい。甘ったるいカクテルと一緒に積もる話がしたい。さびしい

 年に1度か2度、特に理由はなく、ふとこんな日が来る。

 出来ることは何もないから、カルバドスを飲んでお気に入りの香水をかぶって寝てしまえ。明日は別の日。

面倒くさいなもう

 人は歳を重ねるごとに賢く図太くなっていける。それは本当だ。強く鈍感に狡くなっていける。それもある意味本当だ。
 
 けれどそれがどんどん生きやすくなっていく、というのとそのままイコールではないというのは知らなかった。根源的な苦しさは増していくばかりではないか。掴めずに指の間からこぼれていったものが増えていくのを知っていくのが年の功ならば、ほんともう、長生きなんて罰ゲームでしかないように見える。
 
 自分が誰なのか知っているし、何が好きなのかも知っている。私の現在が幸せに見える何かのような形に似ているのも知っている。
 底無しに優しいパートナーと一緒にお酒を飲んだり料理したり買い物に行ったりきのこ狩りしてみたり旅行したり家を買ってみたり。そこに居る事をありがたいと思う。仕事も極めて順調だし楽しい。そこそこ裕福な親も健在でやんわりと疎遠だ。
 この全部、取り囲むものへ愛情はないけれど、全てに愛着はある。分かってはいるのだ。私は自分に必要なアイテムは一応持っている。
 穴の空いた器に砂を注ぎ続けているような感じだ。いつも足りない。空虚で乾いていて、この立ち込める負の靄は一体何なんだ。
 
 ここで踏み留まって立て直さなければ、人格がどんどん歪んでいってしまう危機感が強くある。偏屈で不満だらけな皮肉屋の老女へと向かう方向へ。
 今まで上手く隠して立ち回れてきたのに、ここへきてそれがふとした時に、リアルの場に漏れ出てしまっているような気がして、とても不安だ。それだけは避けたいのだ。今までだって、常に見られたい自分を演じてこれたのだから。
 実際私は上手くやれていたはずだった。他人とつつがなく楽しくやるのも得意だったし、コミュニケーションにおいて困ったことは無かった。
 
 だから、このたちこめる負の靄は一体何なのだ。
 私は強い。私は自由だ。言い聞かせても靄は晴れない。私は何が欲しいのだろう。何と戦っているんだろう。何を根拠に四面楚歌になっているのか。何をどう克服すれば上手く処理できるのだろう。変に器用にこなしてきたしわ寄せが来たというのだろうか。そうだとしたら、対処のしようがないではないか。
 
 母国語で会話したい。同じ温度で同じ質量で。私はたぶん言葉に飢えているだけだろう。そしてこれは単なるスランプ。人生のスランプ。黙ってやり過ごせば過ぎていくはずだ多分きっと恐らく願わくば。
 
 そんなことを、年の近い有名女優の自死を知って考えていた。芸能人なれば承認欲求は一般人よりもかなり強いのだろうと想像するけれど、それにしても何もかも持っているように傍から見える人物であったとしても、心の内なんて誰にも分らない。
 彼女の穴が何だったのかは知らない。ふとした時に、ぶわっと穴に飲み込まれてしまったのかなあと想像するだけだ。残された家族の今とこれからを想って胸が痛む。死者にとっての生きる意味になり得なかった者、生に踏み留まるほどの価値になり得なかった者としての人生に身を置いて行くことになるのだから。

はやニット着て震える季節

 若い頃は気にも留めなかった事が、親になってもおかしくない年齢となって、そのまま年齢を重ねていくごとに、どんどんのしかかってくる。

 友人の子供を眺めていると、時にしんどい。その年齢の私はこんなに幼かったのか。そうか、こんな子供にあんな扱いをしてたのか。私はどうしてあんな扱いを受けてきたのだろう。そういうことが客観的に見えてきてしまうから辛い。
 理由がはっきり見えてしまうのだ。こういう親の思いやりみたいなものを一般的に愛情と呼ぶのなら、私は全く愛されてもいなかったのだと、念を押された気分になる。別にそんなこと知りたくはなかった。

 更に堪えるのは、ただ存在するというだけで大事にされて尊重されて育つ人もいる、ということを知ってしまう事だ。
 私がいくら頑張って努力しても、どうしても手に入れられなかったものを、生まれながらにして無条件に何の頑張りもせずに持っている人もいる。自然に当たり前のように愛され求められ気にかけられ心配され、大切にされてきた人が一定数いる。こんな不平等は知らずにいたかった。人間の生涯はスタート地点から平等などではないし、当たり前のことなんだけれど。

 たかが幼少期やら思春期を過ぎるまでのことだ。たかが育った家のこと。もう過ぎた事だ。
 なのに近しい子供を見ていると、ふと自分の存在に有る種の虚しさを感じてしまう。私の子供時代は何だったのだ。あの頃あんなに頑張ったのに、報われたことは無かったし欲しかったものは手に入れられなかった。どうしてなのだろう。なぜ。
 理由は知っている。私はいてもいなくてもどうでもいい者、もしくは割と明確に疎ましい者だったからだ。
 子供を欲しいと思ったことはないし、自分に適正がないのも分かるのでそれでいいんだけれど、なんの躊躇いもなく子供が欲しいと思える側の何かに属せなかった、何かが欠落した人間だというのは理解しているし、それを残念にも思う。

 そんなこんなでも生まれてしまったからには頑張って頑張って、居場所を無理やり作ってここまで来た。他人に期待して求めても仕方がないなら、自分で己に与えてやればいい。
 住みたかった国でやりたかった仕事に付き、結果をもぎ取ってきた。家を買い車を買い、パートナーと慎ましく暮らして、これでいいはずだ。けれど、もっともっとという感覚は消えない。もっと結果が欲しい認められたい。もっと頑張れる。もっと上に行きたい。
 一体どこに行き着けばゴールなのだろう。こうやって常に何かに不満で、どんどん屈折した嫌な人間になっていく。すごく嫌だ。

 みたいな諸々の思考の癖は、一般的に機能不全家庭などと、ふんわり呼ばれる場所で育った人間あるあるなんだろう。冷静に状況を切り分けて、空中霧散してしまえよ。さっさと克服してしまえ。私の生きにくさなど、その辺にひっそりと溢れかえる、ごくありふれたものだ。

 そう言い聞かせても、「私なんて」という声は止まない。私なんて取るに足らない。この呪いみたいな感覚を振り払うべく、もっともっと欲しいのだ。でも何を?何を放り込んでも穴が飲み込むばかりで、一向に埋まる感覚がない。一体何をどれだけ掻き集めたら、私は取るに足るものになれるのだろう。
 年々少なくなる友人に、友情という人間関係も努力の上で持続するのだと、うっすら分かってきた。その努力すらせずに、ぼんやりと孤独だななんて思って日々が過ぎていく、そんな毎日だ。
 
 私は幸せにはなれないだろう。幸福を見つけるなり感じるなりの才能がない。それがわかっていながら、この先も表向きニコニコしながら、ゴールの無い頑張りレースを続けていくしかない。私の行く末も、最終的に妹と同じになるのだろうか。それはそれで先のことだ。

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