もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

『人形−ギニョル−』加虐と被虐の悪しき世界

mxoxnxixcxa2006-01-20

 その背表紙に書かれた題名で手に取り、「あ、これは吉田良だわ」と中を開いてふふん、ほうらやっぱりね。と一人得意がる。そうしたらこれはホラーサスペンス大賞受賞とあったので、何やら胸が騒ぎ迷わず連れて帰った。佐藤ラギという作家。
 内容は「美少年」「監禁」「SM」というごくごく一部のハートを打つ3拍子。
人形(ギニョル) 主人公は覆面SM小説家の中年男ノリ。ウリ専の集うバーに男娼を買うでもなく通い、ある日ギニョル(人形)と呼ばれる美しいホームレスの男娼に出会う。ギニョルはどんな凄惨な虐待も大人しく受け入れ、しかも無料という文字通りのお人形だった。現実の変態行為にはまったく興味のなかったノリは、ギニョルを前にすると虐待せずにはいられない衝動に襲われる。
 ギニョルの魅力にとりつかれたノリはエロ写真家バンとともに、ギニョルを監禁して飼い始める。眠っているときだけ天使の様に可愛いのに、目を覚ませば相手に非道な感情を起こさせる嗜虐人形ギニョルを使った残酷劇の日々。凄惨な虐待を甘受するギニョルの正体は何かしら。悪しき「邪悪ナル世界」に飲み込まれていくお話というのがたぶん本筋。
 凄惨な虐待描写を求めて読んでも、またやおいチックな甘美な世界を求めても少しずれるかも。壮絶なことが続くんだけれど、どうしてかさらっと読めてしまう不思議な小説。前半はかなり引き込まれて、ギニョルって何?ギニョルって誰!みたいにギニョルの魔力に引き込まれるけれど、中盤からギニョルは拗ねたりむくれたりと普通っぽくなってしまう。そういうところは可愛いんだけれど、魔性の人形ではなくなってしまい、また小説全体の狂気が薄れてぬるくなって来るのが残念。全体的に緊張感が損なわれてのんびりして来るというか、ほのぼのとした気分。
 重要な登場人物である、ギニョル、人形師とその弟子、主人公含めてキャラが希薄なので、最後に明かされるギニョルの正体めいたことも今ひとつ合点がいかず、なんだそんなことですか…みたいな気がしなくも無い。けれど、そういう欠点をかんがみても魅力ある一冊。最後の最後に出てくる鋏のシーンばっかりは、納得行く行かぬを差し置いても何か静かな悲しみが広がった。…そんな、どうしてこんな…みたいな。
 私はというと、見知らぬおっさんにいきなり「マッサージしますから、その際軽くいじめてください。御奉仕いたしますから」みたいなスカウトをされて怯えて断って以来、SMの心理には興味しんしんしん。それでこの話には、S側にはまり込んでいく主人公の気持ちも少しだけ描かれていて、可愛いから傷つけたい、愛しいゆえ受け入れられたい、だから痛めつけたいというような理由が述べられている。
 一口にサディストといっても人それぞれだろうし、嗜好も根拠も人の数とは思うんだけれど、あるサディストが、「だから最終的には、自分は可愛いMの腹をかっさばいて、その中にずぶずぶ埋もれたいのだ」といったようなことを言っていて、それってつまり究極の「受け入れられたい」願望なのかなという気がしたのだった。ただ人間はそう単純なものでもないので、支配欲やら征服欲やら性欲が絡まって、S願望とM願望が混在していたりもするみたい。
 ときにSMの関係は、「惜しみなく与え、限りなく受け入れる」という言葉で表される。私は限りなく受け入れる側の気持ちが知りたいので、この小説の場合はギニョルにもっと存在根拠を示して欲しかった感じがしなくも無かった。「ぼくはね、そういう事が好きなの」だけじゃなく。
 Mにとって羞恥や苦痛は、失った体を取り戻す行為だという人がいた。自分の存在に確信を持つ行為だとか、体に開いた穴を埋める行為だとか。それが快楽に摩り替わるんだとしても、私にはやはり痛い事や酷い事を甘受できそうにない。けれどそれをやすやすと超えてしまうMに対し、Sは求められるものを与えてあげている側、むしろご奉仕しているのはSの側なんじゃないのかなと、部外者には思えたりもする。 
 サディスティックとマゾヒスティックが隣り合わせに混在するというSM世界。深いなぁ興味は尽きないよ。
 まあそんなに興味があるんなら、自ら飛び込んじゃえよ!という話なのですが、この小説の主人公達みたいに、いったん悪しき世界に踏み込んでしまったら戻って来れなくなりそうで恐い。ゆえに凡人は空想世界で充足しておきますですよ。あとは、吉田良の人形は和の感性の生きた顔なので、ロシア人の血が入ったような顔のギニョルだったら、数年前のなるとさんの、折れそうな手足の青ざめた美少年人形のほうがイメージに合うなぁと思って読んでいました。