もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

バベルの塔の例え話

mxoxnxixcxa2007-03-15

かつて神の怒りに触れ、言語を分かたれた人間たち。我々バベルの末裔は、永遠に分かり合うことは出来ないのか。

バベルの塔*1
 Gyaoで映画を見ていると、もうこれでもかという位に、映画『バベル』の予告を見ることが出来るわけで、このコピーを耳にするたびに、なんだかそこはかとなく、胸がぎゅっとする。
 私はカトリック育ちなだけに、サンタが居ないと知った頃すなわち小学校2,3年あたりから神だって嘘だろう、だってサンタも嘘だし、星も死んだ人じゃないわ、月にウサギはいないわ、人間の先祖はサルだわで、反抗期とアンチ基督が同時にやってきて、どうやって神が居ないかを理論だてるか、然るに母をいかに覆すかという根を元に、その後10年かそれ以上は、キリスト教(と、母)に対して嫌悪と軽蔑以外は抱いてこなかったという話。
 例えばニーチェが昼間ランプを持って走り回る狂人に「神は死んだ」と叫ばせたのも、結局は根底に神の存在あっての話だし、虚無主義だって対岸に宗教観あってのことだしで、何となく納得がいかないまま、聖書の突っ込みどころを突付くくらいしかなかったんだった。で、根拠のない無神論は弱いなと思っていたんである。なんて。特にそんなことばかり考えて暮らしていたわけでもないんだけれど。
 じゃあじゃあ、宗教学でも専攻する大学に行けばよかったんだけれども、そこまで勉強も好きではなく、さりとて自分はカトリックであるという、ジャポンでは若干少数派に属している事実は変わらず、宗教は人間の弱さが生んだもの、神は人間の救われたい気持ちが発明したものと、ずっと外側からねちねち嫌っていたんだった。20代を折り返して思うのは、憎悪は目を曇らせるよねということで、知りたくもないわと切り捨てていたのは、私の若さと愚かさだった。
 しかして実際のところ、旧約聖書の神は心が狭すぎる。すぐキレるし人を試すし、自分が作っておいて、責任逃れをする。なんだこれはこの堅物。そうして新約聖書は、イエス・キリストのヒロイズムが強烈に鼻を突く。仏教はいいよね、哲学として生の実践がある。だいたい欧米のキリスト教信仰は、抑止力としての比重の方が大きいじゃないの。ずっとそう思ってきて、それは今でも特に変わらないんだけれど。
 最近は、やや大人になりかけて視野が広がってきたのか、宗教を求めずに居られなかった人間史の方に興味が出てきて、で、時々ちょっと少しだけ何となく考える。結局人間はいつも脆くて弱いのだ。もうずっと、思考力を身につけたときから。悲しみのうちにあるとき、何故こんな目に?と思う。大切な人を失ったときに、あの人は一体どこに行ったんだろう?って。何か理由が欲しいのだ。そうでなければ、あまりに理不尽で不条理だ。最終着地点はどうあがいても死でしかないのに、選択権もなく生まれて、這いつくばってなんとか充実させなければと、ほとんど強迫的に思う。なんでなん?ねえなんでなん?と、最近年下の子が、酔っ払って言っていた。だから、科学がこれだけ発展しても、哲学や宗教が無用の長物にはなりきらないのだ。
 エリートがカルトにはまり、非エリートだって関係なく宗教活動に精を出す。しょうがないじゃないかと、やっとこ思うようになった今現在、ようやく色眼鏡をはずして、旧約聖書でも読んでみようと思い始めたんだった。これは例え話。人間が世の不条理に出会ったときに作り出した、万全の言い訳集なのだ。言い訳を求めることは別に糾弾するほど悪いことでもないのかもしれなくて、そもが古今の西洋美術を理解しようと思うとき、キリスト教の概念ははずせないポイントだなと、最近ことに実感する。というのもあるんだけれども。知らずにいるのも何だか損しているような、けち臭い性分だから。ああ、もっと若いうちに勉強しておくんだった。
 あんた精神平気か?というキモいエントリーになってしまったのは、ただこれが言いたかったの。『バベル』のコピー、うまいよねって。なぜ世界はこんなにもばらばらで言葉も通じず、分かり合えないのか。たぶん昔のユダヤ人も切なく思ったのだろう。何か根拠があって欲しいって。だから戒めを込めた例え話をこしらえたのだろう。良く出来た書物なのだ。ある社会学者曰く、「宗教は人間社会を映す鏡」。西洋史において、キリスト教はその真ん中に居座る暗黒面でもあったと思うんだけれど、社会に合うような形に出来上がっているんだなと思う。だから、のんきな農耕民族のお天道様信仰みたような適当な宗教心の日本に住む日本人の私に、キリスト教が肌に合わなかったとて、何も問題じゃないんだわ。
 映画自体は、特に期待してないんだけれども。監督も『21グラム』のイニャリトゥだし。役所広司ケイト・ブランシェット見たさで行くとは思うけど。以上が、締め切りを勘違いして余裕をこいていたら、寝る間も惜しんで追われる羽目になった人の現実逃避でした。こんなにキモ長い薄いエントリーを最後まで読んでくださった方、ありがとうございました…。

*1:昔、人間が神に挑戦しようと、天に届くような高い塔を建てた。神は人間の傲慢さに怒り、互いの言語を隔て、それによって世界はばらばらなってしまったとか、そういった旧約聖書の創世記にある話。ごめんなさい、詳しくはどこかで検索してください。