もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

木の芽時ですから

mxoxnxixcxa2007-03-26

 春の陽気が古都にも降り注いでまいりました。
 少々精神面に問題を抱えた友人に久方ぶりに会ったら、ぎょっとした。柔らかな狂気を感じた。ああ、春だから…とその部分は軽く無視して、「久しぶりだねー」と笑いかけ、当たり障りのない言葉を並べてみる。彼女がちょっと離れた隙に、別の友人が囁いた。「キティちゃんらしいで」って。しばらくして戻ってきた彼女は言ったの。「もにかちゃん、耳には突っ込んでくれへんね」って、春のうららかな日差しに似合う、ぎらぎらした目で。えっと、どうすればいいんだっけ?何て言うの?カワイイとか、言えばよろしいか?
 彼女は私より年上の三十路に足を突っ込んだ年齢。で、彼女の頭には、パッチンピンでつけるタイプの耳が。キティちゃんの耳が。ピンクのリボンのついた、三角の耳が。えっ、どうしたの?としか言えないよ!しかし私は大人の女。先ほど小耳に挟んだ情報を元に、「ああ、キティちゃん?」と。
 一見してグロテスクを感じていた私は、つややかに光放つキティちゃんの耳に、彼女のキティガイじみた精神面の危うさがそのまま出ているような気がして、少しく恐くなってしまったんである。ほほら、春だから。
 ひとまず微笑みっぱなしで言葉を捜す私に、彼女は言ったの。「ずっと鬱で臥せってたんやけど、数日前に急に調子が良くなって、昨日USJに行ってん。そのとき買ったんよ」って。私、どうしたらいいん?ほほら、木の芽時だから。急に暖かくなってきたし、ああ、やっぱりある種の問題を抱える方たちは、本当に春の陽気にやられてのぼせてしまうのだな…きっと山手線も、人身事故等でダイヤが乱れたりしているのだろう。なんて古都に住んで、電車にもあまり乗らない生活を送る私は考えたんだった。
 ここで、この狂気じみた耳を褒めるわけにはいかない。此岸と彼岸の狭間で揺れる彼女の危うい思考回路に、油を注いでしまう。私は加害者にも被害者にもなりたくないのだ。で、やんわりと、USJはどうだった?とか、私は逝ったことがないなぁ(興味ないわ)、なんて会話を転がしてお茶を濁したんだった。鮮やかなピンクのニットカーディガンとカラータイツ、真っ白なスカートと白パンプス。で、真っ白なキティ耳にショッキングピンクのリボンがついたピンクのパッチンピンを頭に頂く、三十路乙女。異界へ自らを解き放つかのような狂気を全身から発する人間は、居る。
 彼女の場合は、美術系人間の中にはよくいたタイプ、然るに不思議ちゃんぶりっ子願望が強かったのだと思う。しかして長いことかけて切実に煮詰まり過ぎて、いつしか本物になってしまった、という、ある種ホンモノのニセモノというか、ニセモノの中のホンモノというか、なんていうか、超普通の人格障害というか、超ぶっ飛んだ一般人というか、いい年してキティ耳で他者にかまってもらいたい、突っ込んで、絡んでもらいたい。みたような不器用さが痛ましいのだ。耳に突っ込んでくれなかった人に憮然とする彼女には、「異様ないでたちに、迂闊に触れるのが恐かったからでは?」とは言わなかった。自分の装いのグロテスクさに気づいてしまったら、彼女はどうにかなるのだろうと思うから。
 彼女は自らを「真面目」と評するけれど、冷静に眺めると、要するに合理性を考慮できない強迫観念に苦しむ人間。一事が万事、ゼロかマックスか。例えば、風呂に入ると2時間かかる、とてもじゃないがそんな疲れることは毎日出来ぬ、よって入浴は日を空けてしまう、だから入浴のたびに必死こいて身体を洗うしかない、疲れるので毎日は入れない。何だその無間地獄。彼女は全てのことにおいて、全力投球か、放棄か。気の毒に。さぞかし生きてゆきにくかろう。で、彼女は、「一年間、この耳で通そうと思う」と言うので、「へえ、そうなんだー」と。
 5月も末になれば、彼女は急に連絡が取れなくなり、激鬱のオーラを発して死んだような目をしてくるに決まっているので、春の陽気に当てられてハイテンションとなった彼女の浮かれっぷりも、生暖かく適度な距離を保って見守ろうと思うの。冷たいとか言わないで、自覚してるから。毎日会うでもない私が彼女を背負ういわれはないの。彼女について友人達は、「危険な子だと思った。気いつけな依存されるで」とか、「もにちゃん、なつかれてるけど、平気なん?」とか逝ってくるくらいなんだから。適当にあしらって、表面だけでも優しく接している私は、まだ親切なのよ。という話。私より早い時間に彼女に会った友人は、ネコ耳ピンにどうコメントして良いか分からず、「かわいい、似合うやん」などと言ってしまったことをいたく反省していた。「私がのせてしまったんやろか」って。
 しかしこう、メンタル面に問題を抱える乙女たちは、性依存も激しいというのは本当なのですね。性的なスポーツに空しさを憶えるでもなく、そこまで執着できるのは、それはそれですごいと思う。なんにしても常人の理解を超えてゆきますな。孤独は人を賢者にするのだそうですが、“他者”が存在しない彼女は、孤独に耐えられず、すぐに他人と同化してしまう。なんていうか、こう、彼女の気分の上がり下がりに振り回されている周囲の方々が、気の毒だ。ご両親の心痛とご苦労は、いかほどであろう。三十路を超えてなお、私なんかが見ても「幼稚なひと」たる彼女は、食事や飲み物の注文は、まるきり私と同じものを頼んだ。私は面白いと思ってしまうけれど、友人はどん引きしつつも、大人の笑顔を浮かべていた。このようにして、彼女は他人を必死で求めながら結局のところ自業自得に、孤独になっていくのだ。