もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

とてもしずかでおだやかだ。

mxoxnxixcxa2011-07-24

 あれから1年以上が経った。昔からずっと何となーく抱え続けてきた、根拠のない孤独感みたいなものが、嘘みたいに無くなった。
 なんかさびしい、ほんとうによく分かんないけどなんかさびしくて空しいさびしい誰かこっち見て見つけて認めて欲しい。的な、うっすらとだけれど常に何となく感じてきたあの感じを、思い出すのも一苦労だ。それで、何とか思い出しても、他人事みたいに「ああ、そうだったそうだった」と思いだすだけ。
 私はたぶん、何かを諦めたか吹っ切ったといったところ。そうして同時に、色々と意欲やら何だか分からないけれど何かに対しての期待やらも消えていったみたいだ。何だか分からないんじゃない。たぶん自分や自分の人生に対して期待や過度の希望を抱かなくなった、すなわち大人に成りきったってことなんだろうと思っておく。おっそ。ああやっとか。
 他人と過ごすのが面倒になった。休日くらい一人で居たい。て思う。友人がしばしばくれる、「やっほーどうしてる?」メールも大変面倒だ。人付き合いがとても面倒くさい。友人を大切にしなきゃいけないことくらい分かっているので、誘われたら行くし一緒の時間を何てことなく楽しく過ごすけれど、実際のところ大変面倒くさい。申し訳ないなあと思う。ここ1年で、面倒くささでメールも返さずにいて友人を数人減らした。そりゃ意味もわからずメール無視が何度か続けば、そうなるだろう。不義理なことだ。
 2月の締め切りを、もう水分もカスカスの雑巾を振り絞って終えてから以降、アトリエは物置のまま。以前ならその状態に罪悪感に近い感覚を抱いていたけれど、なんとも思わない。わざわざ何か描こう創ろうなんて、面倒くさい。そんな意欲持ってない。
 先日の己の誕生日は、お気に入りのワインを買って、親が送ってきたステーキを焼いて、同梱のチーズとともに、のんびりした。友人からのメールも、面倒くささをこらえて一応全部返した。友人のバー貸切でパーティーをしてもらったこともあった。サプライズの年もあった。いっぱいのプレゼントが凄く嬉しかった覚えがある。もうそんなのどうでもいい。ほっといて欲しい。完全にほっとかれたら、それはそれで寂しいだろうか。なんて失礼な人間なんだろう。
 私はたぶん、喜怒哀楽が以前に比べてとてもフラットになった。悲しくも寂しくもない。欲しいものも強い願望もない。とても楽になった。けれど客観的に眺めると、とても残念だ。妹が自殺して1年以上が経った。私の生活はとても静かで穏やかだ。それでとても独りだ。