もなか

欧州ど田舎暮らしで母国語のアウトプットに飢えているのでネットの森に穴掘って王様の耳はロバの耳

このくさくさを一体どうしたら

 今回のこの秋のこの鬱々くさくさした感じのこのしつこさは一体何なのだ。何を見てもふーんあっそどうでもいいよとばかり考える。元来あまり人様の感情に共感することでカタルシスを得るということが好きではないために、こういう根拠の無いくさくさに捕まるとより一層くさくさする。なにかこう、何処そこで耳にする歌の歌詞がウルサイ。悩みやら生きる意味やらをがーがー歌うを聴くにつけ、ああわかったわかった、ユーの悩みなんてどうでもいいよそれどころじゃないんだな自分のことで精一杯です。などと自我がむくむく起き上がる。
 本当はここで彼や彼女の生きる苦悩に自らを投影して、なんとなれば締め切った部屋で泣きながら彼や彼女になりきってオンステージ。人は弱いものなんだみたいなのや、何やかやを何曲か歌いきり、流れる涙もそのままに「みんな今日はサンキュー!愛してます、今日のことは忘れません!」とかやれば解消するものなのかもしれないのに、頭の中でもう一匹がばっかじゃねーのと言いそうなのでやらない。
 なのでゆき場を失ったくさくさは煮詰まる一方。今日も意味も根拠もなくああ私はダメだ。ダメな奴だ明るい未来はないんだもうお仕舞いだ。なんて意味不明の穴にはまる。私自身はと言うと、たぶん別にお仕舞いじゃないはずなのに、なんでかもうダメだダメだダメダメダメダメお前はほんとに超バカ、人生失敗したんだもうやだこの落伍者消えたいよ。なんて考えてしまう。暗いなぁ。一体何なの。